美濃源氏フォーラム





美濃源氏フォーラム事業案内





主催 美濃源氏フォーラム事務局本部 
     〒509-6121 瑞浪市寺河戸町1238-2 0572-68-3143

後援 岐阜県・瑞浪市・土岐市・多治見市・恵那市・中津川市・岐阜市及び各県市教育委員会
    瑞浪商工会議所・土岐商工会議所・多治見商工会議所・岐阜商工会議所・瑞浪市観光協会
    瑞浪ライオンズクラブ・瑞浪桔梗ライオンズクラブ・瑞浪ロータリークラブ・(一社)瑞浪青年会議所
    美濃源氏七夕まつり実行委員会




美濃源氏フォーラムの案内

1991年(平成3年)瑞浪JC理事長の時に瑞浪市の七夕まつりの中で「美濃源氏フォーラム」を企画開催。
翌年より、「みずなみ美濃源氏七夕まつり」と名称変更することができ、現在まで続いています。

美濃源氏フォーラムは以後毎年開催し、特に現在まで「美濃源氏土岐氏研究講座」や
「土岐氏累代歴史講座」「美濃中世歴史回廊」「美濃人物列伝」などを継続開催し、
会場も岐阜県東濃瑞浪会場・揖斐大野講座・岐阜長良講座、
そして東京六本木講座において歴史講座を中心に行っています。

また、この間には平成6年に「美濃源氏土岐氏サミット」を全国2885軒の土岐さんに案内を発送し、
約130家族180名の土岐さんが集まりました。 
翌年には、関東地域の方々で「土岐一族の集い」が始まり、現在まで続いています。

また平成12年には「第2回美濃源氏土岐氏サミット」を開催し、一族である
「多治見さん」「小里(尾里)さん」「猿子さん」「下石(おろし)さん」「妻木さん」などに呼びかけ行ないました。 

土岐一族は、源氏が美濃に土着してから土岐郡を占有したことにより「土岐」を名字としたわけで、
その後室町時代約220年間に亘り美濃守護として活躍しましたが、
戦国時代下克上の嵐の中で斎藤道三に美濃から放逐され、全国に一族は拡がっています。

中でも、「明智光秀」は逆臣として言われてきましたが、その評価を見直すための活動も行っています。

土岐氏の特徴としてあげられる「婆娑羅(バサラ)大名」を提案してきましたが、今では瑞浪市において
  「よさこいソーラン踊り」の系統を引く「バサラ瑞浪」として全国に名前が売れるようになりました。

その他、後醍醐天皇が鎌倉幕府北条執権を倒すためにクーデターを考えますが、
その際の当事者に土岐頼兼や多治見国長がおり、
下相談の場として「無礼講」を行った、と言われています。
広辞苑にも載っている「無礼講」を土岐氏の発祥地から情報発信しています。 

尚、岐阜県を含めた東海地方は日本の歴史の登場する武士達を多く出しているので
「武家文化の地」として展開しています。 

因みに、京都は「貴族公家文化」で大阪は「商人文化」、江戸東京は「町人文化」と言いますので、
東海は「武家文化」です。 
理由は、土岐一族→斎藤道三→織田信長→明智光秀→森蘭丸→竹中半兵衛→豊臣秀吉→
古田織部→徳川家康、等の人物を聞けば頷けることと思います。
武士が約800年間に渡り政治・経済・文化等々社会を築き上げましたが、
その中心人物達の古里が「東海地域の武家文化」です。 

夢は、司馬遼太郎の「国盗り物語」を超える作家により、
金字塔となる歴史小説「土岐鷹の夢」の発刊に関わり、大河ドラマの放映となることです。
室町幕府最後の美濃守護土岐頼芸の眼を通した、先祖土岐氏の回想と室町の終焉下克上と、
そして信長や光秀が舞台から降りると同時に消え去っていった、鷹が時代を見続けていた、
そんな戦国ストーリーです。 

司馬遼太郎は「国盗り物語」の中で、斎藤道三は一代で美濃を奪ったと書いていますが、
書かれて以後の研究から親子二代説が確定されました。 

また、「岐阜」の「岐」の字は土岐氏の「岐」を禅僧達が意識して使い始めたことが、
確定される寸前となっています。我々の主張が受け入れられる時が近づいています。
又、明智光秀も土岐一族としての「本能寺の変」のかかわり方が、
清和源氏としての使命も大きな位置づけとなってきました。 

土岐氏の絵画の技術が優れており、特に「鷹」の絵にずば抜けていたので、
美術の世界では「土岐鷹」として特別視されています。
特に、土岐頼芸も最たる画家でもありました。美濃を斎藤道三から放逐されてからも、
尾張や越前にまた上総や常陸まで逃れており、最後は武田に身を寄せており、
武田の東濃攻めにおいては美濃国主に返り咲く夢を持っていたかもしれません。  
親子の争い、兄弟の争い、家臣との争い、
そういった時代に合わない不器用な文化人であったかもしれません。 

そんな「土岐鷹の夢」プロジェクトを一緒に実現させましょう。



 岐阜県芸術文化奨励事業
 岐阜県生涯学習事例発表事業
 岐阜県パイロットイベント表彰事業




   美濃源氏フォーラム事務局理事及び監事名簿 敬称略      
理事長 井澤  康樹
本部東濃瑞浪事務局
副理事長兼事務局長 土岐  康夫
監事 小倉  征勝
事務局員 伊藤  正巳
桑原  隆三
小島  恭子
佐治  和人
佐治  敏枝
高木  由貴
田中  秀子
米川  友梨
岐阜西濃長良事務局
副理事長兼事務局長 奥村  一成
監事 林    正啓
一柳  道登司
大竹  庸元
高井  和彦
丸茂  菊穂
森    陽一郎
部会理事
小倉  勝雄
荒深  光正
水野  誠志郎
山口  純男

美濃源氏フォーラムの設立・理念
  平成3年7月

  美濃源氏フォーラム 目的

1. 美濃源氏土岐氏に関する全てについて、市民から専門家まで、又市外の関係者をも含む探求の場とする。
2. 日本の歴史上一番不透明になっている中世史≠明らかにする為に、
  それは埋没している歴史が多すぎるせいであるが、
 中世史#ュ掘の為に瑞浪市民として協力体制の確立を推進する。
3. 歴史的遺産を次代に引継ぐ者の立場から、受け継ぐべきものを市民に提供する。
4. 美濃源氏フォーラムの実績を広く公開し、日本の中での位置付けについて意見交換の場とする。
5. 美濃源氏フォーラムとは、美濃源氏土岐氏研究の総称であり、かつ会の名前をも兼ねるものとする。


美濃源氏フォーラム15周年を迎えて
  平成17年7月

  美濃源氏フォーラムは平成3年第1回を開催し、現在15年目を迎えました。

 この間、会員の自主運営により様々な活動を行なっていますが、『美濃源氏土岐氏一族の歴史検証と、
 その歴史を活かしたまちづくり』を主旨として続けています。

 元々瑞浪市の二大祭りでした「みずなみふるさとまつり」と「瑞浪七夕まつり」を合併させ
 日本中に知られる《祭り》を創ろう≠ェ、合言葉でした。

 土岐一族は、瑞浪市を始めとして土岐市・多治市・笠原町の旧土岐郡を発祥としていますので、
 祭りを通し美濃源氏土岐一族の歴史再発見を考えたわけです。2年目を迎える時、
 二大まつりは正式に合併することになり『美濃源氏七夕まつり』として再出発をしました。

 3年目からは、夏のフォーラムだけでなく「美濃源氏土岐氏研究講座」を年6回開講し、現在も継続しています。
 翌年、全国の土岐姓2885名に参加を呼掛け『土岐氏サミット』に180名が参集されましたが、
 これを契機にして各地で新資料の発見がおきています。

 5年目には、土岐氏の婆娑羅精神を活かすことを提案、
 「バサラ瑞浪」として現在創作踊りで土岐氏を表現するようになっています。

 9年目に、土岐一族明智光秀との縁で細川護熙元首相の講演が実現、文化の日に、
 瑞浪市総合文化センターで、国民文化祭の最終日に『文化』についての講演を受け、
 今【歴史と文化を活かしたまちづくり】を進めています。

 また、この年より岐阜市でも『美濃源氏歴史講座』を開講し5年目を迎えますが、
 その他東京・東北・関西・四国・九州地区でも『土岐氏研究』が始まっています。 
 


美濃源氏15周年記念事業主旨説明、及び、皇太子殿下浩宮様のお言葉
 
  平成17年7月23日

 第15回美濃源氏フォーラム in 瑞浪  
 開会挨拶
  
 本日はご多忙の中、衆議院議員古屋圭二様、岐阜県教育委員長様を始め東濃地域振興局長様、
東濃教育事務所長様等、30余名のご来賓の方々にご臨席賜り、
美濃源氏フォーラム15周年記念事業を開催できることになりました。

 講師に先の全国知事会会長であり、前岐阜県知事、また現在岐阜県顧問であります梶原拓様を始め、
歴史研究者の方々7名を千葉県・埼玉県・東京都・京都府・三重県、そして岐阜県内よりお招きし、
中世美濃交通や流通・物流などについて考えるフォーラムと致しました。

 遅れましたが、私は美濃源氏フォーラム運営幹事の井澤康樹と申します。
ご参加賜りましたすべての方に対して心より御礼申し上げます。

 さて、美濃源氏フォーラムは、平成3年より新しい瑞浪の祭りを美濃源氏土岐一族の歴史を通して創るべく、
瑞浪青年会議所の有志にて出発致しましたが、15周年を経て現在は会員数凡そ300名となり、
ボランティア委員役30名で運営がなされています。

 そして、瑞浪だけでなく岐阜市や揖斐郡大野町でも多くの支援者のもと、
事務局を設置して歴史講座やシンポジウムを行っております。

 このような、民間の歴史検証活動ではありますが、美濃源氏土岐一族という不透明な歴史解明は、
土岐一族発祥の地に留まらず、岐阜県はもとより日本の中世史の発展に少しでも寄与出来る様、
又美濃源氏土岐一族の歴史を生かしたまちづくりとなる様努めて参りました。
 
 そんな中、昨年春幸運な事に宮内庁の羽毛田長官に面識を頂く事ができました。
とても親しみのあられる方で、私どもが以前から抱いておりました夢を直ちにご相談申し上げた次第であります。

それは、日本中世史の研究者であらせられる『皇太子殿下浩宮様』に行啓賜り、
美濃源氏フォーラムにご臨席賜れたら、というもので、叶う事なら研究発表としてご専門の『中世の交通史』について、
それも『水軍や海賊などについて』お話をお聞かせ頂けたら、という途方も無いものでした。

愛知万博の名誉総裁として幾度か会場入りをされるとのことなので、
そのついでにお立寄りが願えたらというものでした。

 然し、羽毛田長官は、実は羽毛田様は昨年度まで次長職で、平成17年4月から宮内庁長官になられたのですが、
なんと東宮侍従の堀江事務主管様をご紹介頂けたのであります。

 それから昨年末までに、15周年事業計画を策定し、東宮職へお計りを申し上げておりました所、
この7月始めに堀江侍従様からご連絡頂きましたが、結果については『皇太子殿下浩宮様』からのお言葉として、
わたくし井澤から伝えてよろしいとのことでありましたので、
これから  皇太子殿下のお言葉 として申し上げさせていただきます。



 ”このたびは、美濃源氏フォーラムの作成した多くの講義録や資料を頂き感謝します。
そして、中世交通史の研究者として15周年記念事業の御案内を頂きましたが、
参加できず残念です。
  この催しには、知合いの方が講師として参加されますし、
梶原拓先の全国知事会会長の記念講演もありますので、
この事業が盛会に開催されますことを願っております” 

  以上です。



 このようなことは、民間の事業には殆ど例のないことで、大変名誉なこととなりました。

つきましては、
日本史学会には流通や物流に関する先達の研究者が金字塔の如く多々あることは承知していますが、
市民活動が醸成され行政との協働の中で「郷土史研究」が芽吹いていくことを願い、
ここに美濃源氏フォーラム15周年記念事業
『再考、美濃の中世社会−東西文化の結節点、蠢きまわるモノやヒトたち』 を開催致します。