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E 美濃源氏フォーラムinJAPAN 群馬
「明治の寅次郎 トルコを行く」・・・・・・・・下段の記載
旧土岐邸洋館(郷土人物資料館)沼田市HP  お問い合わせは、  numatacity@city.numata.gunma.jp  へ

土岐頼稔  
 沼田土岐氏累代墓所(群馬県沼田市 東禪寺)



寅次郎

      山田寅次郎                       

        2005年3月9日 土岐 實光
  山田寅次郎を主題としたNHKのテレビが放映される
 山田寅次郎は沼田土岐家老の次男で、日本とトルコとの架け橋になった快男子で、
2003年日本におけるトルコ年の機会に一躍有名になった男です。
彼については土岐会会報第7号に私の家内が詳しく書いているのでこれをごらんいただきたいのですが、
会報をお持ちになっていない方の為に、簡単に御紹介をいたします。

 山田寅次郎は沼田藩江戸詰め家老中村雄左衛門の次男として、
慶応2年、土岐会でも見学に参りました江戸見坂の土岐家上屋敷に生まれました。
2年後に官軍の東征を受け、一家で沼田に移り、維新のほとぼりが冷めた明治6年勉学のため、
上京いたしました。漢学をはじめ、英、仏、中国語を学び、40年後57歳で第8世家元を襲名しております。

 その間、トルコと深い関係を持ったのです。

 そして、明治23年24歳の時、当時としてははるかに遠い異教徒の国と関わりを持つことになったのです。
その4年前に小松宮ご夫妻がトルコを訪問され、その返礼として、
23年に、使節団長オスマン・パシャ以下600人余りの人々を乗せた軍艦エルトウール号が11ヶ月かかって、
横浜に来航いたしました。

 乗組員は明治天皇に拝謁を許され、国賓として歓迎されました。

 ところが、3ヶ月後、帰途についた一行を暴風が襲い船は座礁後、沈没いたしました。
其の時、69人は救助され、手厚い看護を受けたと言われています。

 山田寅次郎は東京日日新聞に募金の記事を載せ、各地で講演会を催し集まった義捐金を携えて、
明治25年に英国船に乗り、途中船を乗り継いで、コンスタンチノーブル(今のイスタンブール)を訪れたのでした。
その日のうちに、外務大臣に義捐金を託し、
数日後、皇帝アブデユル・ハミル2世に拝謁して、
寅次郎の実家、中村家に伝わる戦国時代の甲冑師明珍の鎧兜と太刀を献上しました。

この兜には土岐家ゆかりの桔梗の紋がついています。

ただし、2003年の日本で開かれた展覧会に出品されたものを見ましたらば、
桔梗の紋が上下さかさまになっていたのはお愛嬌でした。
この鎧兜はいまでもトプカプ宮殿内に展示されています。

その後彼はトルコと日本の間をたびたび往復し、両国の架け橋となっていきます。
日本よりもトルコで有名人となり、スルタンや高官と会う特権を与えられ、二つの勲章も授与されました。

 大正3年、第1次大戦勃発に伴い日本に帰り、大阪で製紙会社を経営しつつ、
宗偏流の振興に努め、日本トルコ協会を設立して両国の友好親善に尽くし、
理事長として昭和6年17年ぶりにトルコを訪問しております。
そして、昭和32年、90歳で波乱に満ちた生涯を終えています。
 
 


  「明治の寅次郎 トルコを行く」 
    〜異文化に生きた日本人〜
    平成17年3月21日(月) 
    NHKハイビジョン(BShi)放映

 1890年(明治23年)、和歌山県串本沖でオスマン・トルコ帝国の軍艦が遭難し、600人近い死者が出た。
このニュースを知り、遺族への義捐金を届けようと、全く異なる文化を持つイスラム教の国である、
オスマン・トルコに単身渡った熱血漢の青年がいた。
山田寅次郎、当時25歳。
彼は、日本語教師や貿易商をしながら、合計20年以上に渡り、トルコのイスタンブールで暮らした。

西欧化による近代国家建設にひた走っていた日本。
その中で日本とも西洋とも全く異なるオスマントルコの文化・価値観に触れ続けた寅次郎。
じつは彼は、日本に帰国後、茶道の家元の座につき、90歳で亡くなるまで、
日本の伝統文化の継承に人生を捧げる。いったい寅次郎は、異文化の何に触発され、
異文化をどのように見つめたのか。そしてなぜ彼は、家元として、日本での後半生を送ることになったのか。

 番組は、人気歌舞伎役者の中村獅童さんが寅次郎役となりドラマで彼の人生を描くと共に、
獅童さん自らが、イスタンブールでの旅によって寅次郎の足跡をたどり、寅次郎の目に映った異文化の姿、
そして異文化の中で生きた日本人の姿を探っていく。

人気歌舞伎役者の中村獅童さんが寅次郎役となりドラマで彼の人生を描くと共に、
獅童さん自らが、イスタンブールでの旅によって寅次郎の足跡をたどる。

       (NHKHP BShi カルチャーより)
寅次郎がトルコ皇帝に献上した鎧・兜 トプカプ宮殿に展示されている

 


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