その他資料
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第1回美濃源氏フォーラム in 九州・・・・・・別記 美濃源氏フォーラムの歩み A
宇佐市下乙女の土岐氏・・・・・・・・・・・・下記
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土岐尊憲家墓所
(大分県宇佐市下乙女) |
宇佐市下乙女の土岐氏
康永元年(1342)土岐彌五郎頼資は京を三百騎で脱出し、
豊前国(大分県)宇佐郡乙女村と尾永井村の三千貫を領し、豊前守と称しました。
これは土岐頼遠が光巌上皇の御幸と樋口東洞院で衝突した事件の後のことで、
その罪が三族におよぶことを避け宇佐へ下向、剃髪して豊前入道となり、
没後は長安院殿玄参大禅定門として長安寺に眠っています。
応安四年(1371)その子大和守頼實は九州探題今川貞世に従い筑前にて戦死、
その子頼清は大内義弘に属し菖領地を有し、その孫頼忠は土塁を乙女村に築いて住んだといわれています。
およそ100年後、天正15年(1587)2月土岐喜右衛門尉忠秀は三好秀次に従って薩摩に入ります。
天正17年、黒田甲斐守長政のために城地を没収せられましたが、
一族は子孫連綿と宇佐市下乙女の長安寺を軸に集落を成し、気高さを失うことなく土岐氏末裔の誇りを今に伝え、
土岐尊憲家では盆と正月に必ず土岐祖源光衡画像を床の間に掛けられ、美濃と共に先祖の遺徳を偲んでみえます。
母方子孫の豊岡隆喜氏(東京都)より情報提供を頂きました。
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