その他資料

小里氏  関連年表
   国定−兵庫助−光忠−光次−光久−光明−光直−光親−光重

 年号  西暦  中央  地元(東濃)
 建久3  1192   鎌倉幕府開く 幕府の功臣:土岐光衡(一日市場館)・加藤景廉(遠山氏祖)
 承久3  1221   承久の乱 参戦東濃武将:土岐光行(浅野館)・遠山景朝(岩村城)
 正中1  1324   正中の乱 土岐一族上洛、従軍者に小里太郎国定出名。
 建武1  1334   建武の新政 この頃、土岐頼貞初代美濃国守護に、二代頼遠は後に
 延元3  1338   室町幕府開く 大富館(土岐市)より長森城(岐阜市)へ移る。
 延文4  1359
足利義詮の出陣に土岐一族随行。小里兵庫助出名。
 応仁1  1467   応仁の乱 八代将軍成頼は西軍、大井城・荻之島城(西軍の城)落城。
 天文1  1532
この頃、光忠が土岐・恵那郡の故地3600石を切り取る。
 居城を小里に定め、土岐を改めて小里を称す。
 天文21  1552  土岐守護家滅亡 守護頼芸、斉藤道三に追われ土岐守護家滅亡する。
 弘治1  1555
この頃武田信玄が恵那・土岐郡に侵入し、
光忠・光次等これに従う。
 弘治3  1557
この頃神箆城主遠山(土岐)三兵衛信友と不和になる。
 永禄8  1565
織田信長と武田信玄、高野口(瑞浪市)で衝突。
この頃より光忠・光次等信長に従う。
 永禄10  1567  信長岐阜城へ移る
 元亀3  1572  信玄西上作戦開始 武田方の秋山信友と織田方の東濃諸氏が戦う(上村合戦)
 この時光次戦死。
岩村城、武田方に帰属する。(城主秋山信友)
 元亀4  1573   室町幕府滅亡 信長、岩村城の押えとして東濃十八城砦を配置する。
 天正2  1574  武田勝頼東濃侵入 勝頼、織田方東濃十八城砦を攻撃し、明智を囲む。
信長・信忠、明智城後詰めのため高野に着陣。
その後まもなく明智城落城。
信長、小里・神箆城の普請(改修)を命じ、
岩村城の向城とする。   ※ 小里城山城
 天正3  1575   長篠の合戦 武田勝頼、三河・長篠設楽原の合戦で織田・徳川連合軍
に大敗した。
織田方。岩村城を奪回する。(天正・岩村城の戦い)
 天正10  1582   天目山の戦い 武田勝頼、織田勢に敗れ武田氏滅亡。
  本能寺の変 信長、明智光秀に討たれる。光久、信忠に従い二条城で
討ち死。   家督は光明が継ぐ。
  山崎の合戦 光秀、羽柴(豊臣)秀吉に敗れる。
 天正11  1583   森氏の東濃制圧 小里氏、徳川氏のもとへ逃れる。(明智遠山氏・
   (金山城主) 苗木遠山氏も徳川氏のもとへ)
光明・光直、三河の小原に住み、度々森勢と戦う。
 天正12  1584  小牧長久手の合戦 豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄連合軍の戦い。光明、
山田砦(瑞浪市か)を落とす。光直(徳川方)長久手で戦死。
森長可(秀吉方)、長久手にて討ち死。家督は弟忠政に。
 天正18  1590   秀吉、全国統一
 天正19  1591
光明、相模国東郡内の300石を知行する。
 慶長5  1600   関が原合戦 東濃の戦い:東軍妻木氏(妻木城)対西軍田丸氏(岩村城)
森氏に追われた小里氏、苗木・明智両遠山氏も東軍に。
光明、小里城を奪回し、旧領地3580石を回復する。
小里城の仮普請を行なう。
苗木遠山氏・明智遠山氏も旧領地回復。
 慶長8  1603   江戸幕府開く
 元和1  1615   大阪夏の陣 光親、夏の陣に参戦
 元和7  1621
光親没、家督は光重が継ぐ
 元和9  1623
光重没し(20歳)、断家となる。
  瑞浪市教育委員会 「御殿場跡発掘調査報告書・年表」 に加筆し作成

    


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