第4回中部土岐会総会-美濃守護土岐氏累代墓所巡り


1日目順路
・ホワイトスクエア(瑞浪市)~光善寺跡(土岐町)~東香寺(富加町)~龍安寺(伊深町)~大安寺(各務原市)~ 昼食~瑞龍寺(岐阜市)~成就寺跡(岐阜市茜部)~土岐塚(笠松町)~手力雄神社(岐阜市)~グランベール岐山(宿 岐阜市)
2日目順路
・宿~禅蔵寺(揖斐郡池田町)~瑞巌寺(揖斐川町)~法雲寺(揖斐川町)~昼食~南泉寺(山県市)~ホワイトスクエア(瑞浪市)
当日3日は良い天気に恵まれて、大阪府、石川県、愛知県、岐阜県と各地からご参加頂き、  瑞浪市のホワイトスクエアを9時に出発し土岐源氏発祥の地である一日市場に立ち寄りました。


・美濃源氏土岐氏発祥の地一日市場(瑞浪市)

・光善寺跡(瑞浪市)では土岐頼定、頼遠、頼康公の墓(供養塔)へ参り、清酒に灯明と線香でお参りしました。
光善寺跡土岐頼定公墓所(岐阜県指定史跡)。

・東香寺(富加町)。土岐頼遠が開基で夢窓国師開山の東香寺裏の山手には後醍醐天皇、足利尊氏、土岐頼遠の供養塔が並んであり 住職の案内で説明を受け、皆でお参りしました。

・龍安寺(美濃加茂市伊深町)には土岐義行(康行)の墓(供養塔)があり、総欅造りの鐘楼門には梵鐘があり、 梵鐘の銘文から土岐康行の寄進が判明しています。(美濃加茂市)境内の墓前では皆で弔いました。 (康行は土岐頼康の養嗣子となり義行から康行に改名した。)

・大安寺(各務原市)では土岐頼益、斎藤利永の墓所があります。墓所の一番高い所に二人の墓があり、皆でお参りしました。 頼益は文武に優れ室町幕府3代将軍足利義満と4代将軍義持から篤く信任され、 美濃守護のみならず評定衆に昇格し南の座主座侍所別当に格付けされています。(各務原市)

・瑞龍寺(岐阜市) 昼食を済ませて土岐成頼、斉藤妙椿の瑞龍寺(岐阜市)へ。
桔梗紋に飾られた瑞龍寺は斎藤妙椿が美濃守護である土岐成頼の菩提所として建立し悟渓宗頓国師を迎えて開山。 1470年に七堂伽藍が完成し、美濃国、尾張国を中心に東海派禅門の古道場として知られていた。当山裏手に墓所があり、 墓所から山上には岐阜城がある。皆で土岐成頼、斎藤妙椿の墓前に参りました。

・成就院跡(岐阜市) 土岐政房の墓 成就院跡(岐阜市茜部)岐阜市茜部、茜部神社横に墓所があり、皆でお参りしました。

・土岐塚(笠松町)無動寺の戦い 織田信秀と斎藤道三の戦いで無動寺城の土岐八郎頼香(斎藤道三側)を斎藤道三が松原源吾に暗殺を命じ、 戦の混乱時に土岐八郎頼香を襲い自害させ土岐嫡流政房八子、道三の女婿の墓が土岐塚である。(岐阜県笠松町)

・手力雄神社(岐阜市) 手力雄神社境内にある土岐頼遠のものとされる宝篋印塔。 近くの田から見つかった土岐頼遠のものとされる宝篋印塔。皆で合掌。(岐阜市)

・宿舎のグランベール岐山
総会、懇親会
総会と会員の近況報告の後、盛大に懇親会を行いました。
2日目順路
・宿~禅蔵寺(揖斐郡池田町)~瑞巌寺(揖斐川町)~法雲寺(揖斐川町)~昼食~南泉寺(山県市)~ホワイトスクエア(瑞浪市)
・朝食を済ませ宿を9時に出発、一路禅蔵寺へ

・禅蔵寺(岐阜県池田町) 美濃国守護の土岐頼忠、頼益の墓所である禅蔵寺では井澤理事長の計らいで土岐鷹を取材する 岐阜新聞の生駒様と合流し、禅蔵寺へ伺い住職の土岐系図のお話、又、土岐鷹の掛け軸の説明等を受け本堂でお参りし、 其の後墓前へ向かい皆で供養しました。

・瑞巌寺(揖斐川町) 瑞巌寺は土岐頼康が父土岐頼清を弔うために建立。墓地は少し離れた山手にあり、皆で墓地を訪れお参りしました。

・法雲寺(揖斐川町) 土岐頼芸は各地を流浪しますが、稲葉一鉄の計らいで甲府から美濃に戻り此の地の庵で亡くなりました天正10年12月4日。
土岐頼芸の墓は法雲寺向かいの山中にひっそりとあります。藪をかき分け山中の墓前を訪れて皆でお参りしました。
昭和49年に法雲寺の境内に墓碑を移し、岐阜県の指定史跡となりました。又、偶然にも寺の近くに家臣末裔の國枝様がお見えになり、 国枝様の系図も拝見いたしました。國枝様は無住の法雲寺のお守もして見えました。ありがとうございます。

・南泉寺(山県市) 南泉寺では再び岐阜新聞の生駒様と合流し、住職による土岐鷹、土岐頼純肖像、快川紹喜頂相の説明を受け、 墓では山県市のボランティアガイドさんに土岐頼純の墓、土岐累代守護の供養塔、大桑城の説明を受け、皆でお参りしました。
・皆様大変お疲れ様でした。美濃国守護土岐氏累代墓所巡りの旅は終り、次回の再会を胸に帰途に着きました。
ご参加下さった皆様、協力頂いたお寺様に感謝のお礼を申し上げます。
中部土岐会 土岐康夫


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