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241〜250
241: 土岐頼芸シンポジウム (1)
242: 岐阜県博物館マイミュージアムギャラリー (1)
243: 感謝状 (6)
244: TOPページの一部破損 (3)
245: 土岐氏毎歳忌 (7)
246: 土岐家伝来の刀が見られます (2)
247: 美濃の牛について (1)
248: 谷口先生 (4)
249: 会員の皆様へ (3)
250: 恐縮 (1)


土岐頼芸シンポジウム

1 名前:沢源 投稿日: 2003/07/01(火) 22:39 
今秋9月27日(土)岐阜県揖斐郡大野町の町民センターにて
『第3回美濃源氏フォーラムin岐阜大野町−土岐頼芸シンポジウム』が開催される予定となりました。
美濃源氏フォーラムからの提案に対して、
大野町長杉山茂さんのご協力にて1000名収容会場を使用することになりました。
チケット販売よりも、入場無料にて大野町を含めた近隣町村へもご招待し、
丁度揖斐郡内の合併協議が進んでいる事も有り、土岐揖斐氏や土岐衣斐氏の発祥地である大野町にて
土岐頼芸を取上げて頂けることは素晴らしいことだと感激をして帰ってまいりました。
いよいよ、西濃地方でも美濃源氏フォーラムが開催できますので、皆様楽しみに御待ちくださいませ。 


岐阜県博物館マイミュージアムギャラリー

1 名前:沢源 投稿日: 2003/06/21(土) 22:06 
いよいよ6月22日よりマイミュージアムギャラリー展示が始まります。
本日最終点検をして参りましたので、皆様のご来場楽しみにお待ち致します。
『美濃源氏土岐一族の世界-土岐氏の歴史と文化』がテーマですが、
写真パネル展示以外に、土岐光衡公画像・土岐頼貞木像(龍門寺所蔵)・
土岐頼清、頼康画像・足利義満御教書、土岐頼忠木像、禅蔵寺雲板、
佐々木京極家中世和鏡、覚源禅師行録と語録、蒼鷹の絵図、
土岐頼忠と頼益の供養塔拓本・土岐政房と土岐頼武の虎永山永保寺禁制、
土岐頼芸後裔家系図と所蔵資料・
小里村と小里城の絵図並びに所蔵資料・長滝白山神社所蔵国重文能面三枚等
貴重なものが展示してあります。
その他、関係各位から寄せられました資料ですとか、又美濃源氏フォーラムの
歴代のチラシも並べてみましたので、この12年間が振り返って頂けます。
更に、写真パネルも人物が一緒に写っていますので、その一人は貴女かもしれません。
もちろん、行政の仕事ではなく民間の事業でありますので、十二分とは言えない
かも知れませんが【美濃源氏土岐一族の歴史の概略について】はご理解頂けるものと
存じますので是非お立ち寄り下さいませ。
 尚、桔梗ムースにつきまして時節柄ご提供を控える事としましたので、何卒ご寛容に
お願い申し上げます。 


感謝状

1 名前:沢源 投稿日: 2003/05/07(水) 21:15 
この掲示板すごいですねぇ
わが目を疑っています
疲れていた体にチカラが漲ってきました

それでは最新情報をひとつ
土岐市土岐津町土岐口にある「熊野神社」について、今まで那智の熊野神社
とばかり思っていましたが、なんと島根県の熊野神社が本社であることを
丹羽禰宜(女性)から聞きました。この禰宜さんは、私の先輩の妹で、昔
から面識はあったのですが、特に神社について話す事はなかったのですが
、やはりオミチビキですネ。この熊野神社は古代の古墳が数基あり、そこ
へ国房が勧請と言われています。光定は隠岐守でその子どもの頼貞は伯耆
守でありますから、現在の島根県鳥取県との関連を考えていましたら、そ
こへ熊野神社です。私の推測は、刀の技術とその原料となるタタラに関し
て山陰との繋がりが生きてきたのではないかと現在考えています。
又、情報手段としての位置づけもあり、美濃と山陰を結ぶ連絡網の役割で
はないかと考えています。
白山神社は、美濃側が白山長滝神社が本社となりますが、逆に松山の赤蔵
ケ池付近は土岐氏の諸領地でしたが、何故かしらその辺りに白山神社が多
いとのことで、それも四国にたくさんもないのに固まっているのは、土岐
氏が持ちこんだせいではないかと思われます。特に、白山長滝神社の若宮
宮司も同意見で、出羽三山の修験者を通して通信手段が美濃と出羽守とし
ての光国とか光行にはあったのでは、等と関連して考えています。
東北は、矢羽の供給先として鷲の羽根が送られたでしょうし、馬も東北か
ら送られたものと思います。そんな中、刀の供給としては技術と材料が問
題ですので、それらが山陰辺りのポイントで、技術そのものは宇佐神宮が
大元とも言われていますので、宇佐神宮と熊野神社の関係を洗ってみよう
と思う今日この頃です。
以上、データーもない私見ですが、これが私の創造の源でもあります。
ご意見のある方は是非美濃源氏フォーラム運営幹事井澤康樹まで御願い
します。 


2 名前:大島 投稿日: 2003/05/19(月) 21:18 
井澤さんから、駿河土岐氏は鳥取か島根の方へ移住したと聞いた記憶があるのですが、本件と何か関係があるのでしょうか? 


3 名前:沢源 投稿日: 2003/05/19(月) 21:57 
今のところ、土岐島田氏との関連(静岡県島田市)、又満貞子孫が長野県泰阜村に土着
との伝承、そして泰阜から群馬郡榛名町へと移住とのことを渡辺俊典氏より聞いたこと
があります。特に、この大井川沿いは土岐頼遠の関係者が青野氏として群生していると
もききますので、系図上明らかになっていないのは、南朝系の拠点だった可能性を考え
ています。
又、因幡の土岐氏は富木氏と変えたとも言われていますが、どの系統が伯耆に移ったか
ですが、隠岐守・伯耆守あたりの光定・頼貞ではないのか、又その現地補任のメリット
は、朝鮮との交易や、刀を作る為のタタラ≠ェ豊富であったことではないのかと推論
しています。尚、千葉県市川市の中山法華経寺の開祖は富木常忍で、お寺では土岐氏と
して祀られ、JR市川駅を降りるとすぐにどでかい桔梗のついた山門に驚かされます。
たた゛、富木常忍誕生の鳥取県の地元では、その節もあるが、今はとらない≠ニの事。 


4 名前:谷口 投稿日: 2003/05/21(水) 09:35 
ちなみに、土岐島田氏の名字の地は静岡県ではありません。岐阜県です。拙著参照のこと 


5 名前:沢源 投稿日: 2003/05/21(水) 23:04 
島田氏発祥が岐阜県養老郡養老町高田であることは、谷口研語「土岐一族」で承知はしています。
が、「駿河の土岐氏伝承は、その後島田に住す」とも言われており、その解明の必要もあります。
とにかく、系図に表れない土岐一族が結構出て参りますので、当人の土岐氏観を考慮すると何と
か分かればなぁーと思う今日この頃です。 


6 名前:大島 投稿日: 2003/06/10(火) 21:15 
上記の「井澤さんから、駿河土岐氏は鳥取か島根の方へ移住したと聞いた記憶がある
のですが・・・」は、井澤さんではなくて中川根町の小沢さんからです。私の記憶違
いでした。 


TOPページの一部破損

1 名前:Ryuko 投稿日: 2003/06/08(日) 18:06 
美濃源氏フォーラムのTOPページのタイトルとカウンターが
故障しました。ただいま修理していますので、しばらくご辛抱ください。
平成15年6月8日 


2 名前:沢源 投稿日: 2003/06/09(月) 09:58 
岐阜の事務局パスワ−ドが消えてしまい現在工事中、後少しで復帰します。 


3 名前:若葉 投稿日: 2003/06/09(月) 17:10 
初代事務局長の若葉です これからもよろしく 


土岐氏毎歳忌

1 名前:沢源 投稿日: 2003/06/02(月) 15:17 
平成15年6月1日岐阜県揖斐郡揖斐川町の瑞巌寺にて、土岐氏毎歳忌がおこなわれました。
美濃・尾張・伊勢の三国守護でしたが、その分派と子孫への拡がりが知られていないので、
多くの人へどのように伝えていくか、良い意見をお待ち致します。 


2 名前:大島 投稿日: 2003/06/02(月) 21:21 
1.Yahoo! JAPANの 「芸術と人文>人文>歴史>系図>家系と名字」のサイト
  リストに本HPを登録申請する。→登録されればPR効果絶大。
2.本HPで呼びかける。
発想が貧しいですが、参考になれば幸いです。 


3 名前:Ryuko 投稿日: 2003/06/03(火) 03:51 
大島さん、ご意見ありがとうございました。
「美濃源氏フォーラム」のHPは既にYahoo!JAPANに登録申請済みですが、
まだ「美濃源氏フォーラム」ではヒットしてきません。
再度、Yahoo!JAPANに申請しておきました。
沢源さん、「土岐氏毎歳忌」の写真や記事がありましたら、HPに載せたいと思いますのでメールでお送りください。 


4 名前:沢源 投稿日: 2003/06/03(火) 22:47 
私の写した写真は、デジカメではありませんので、トホホホホ・・・ 


5 名前:Ryuko 投稿日: 2003/06/04(水) 10:57 
沢源さん、写真ができましたら、簡単な紹介文をつけてお送りください。
写真はスキャナーで取り込みますのでOKです。その他HPに載せたい写真がありましたら、
数枚お送りください。たくさん送られて来ましても使えないと思います。
ただし、HPの大幅な更新は夏休み頃までできませんので、悪しからず。
今週末の「土岐氏探検隊」、新しい発見とお導きがありますように・・・・・ 


6 名前:大島 投稿日: 2003/06/05(木) 23:34 
駿河の土岐氏探検隊の一員です。
今川範氏に攻められて徳山城へ逃げ込んだのは土岐彦太郎ですが、これは土岐頼貞の
長男頼直の子であろうと思われます。頼直は小太郎を称しており、その子を彦太郎と
するのは有りえる話ではないでしょうか。 


7 名前:沢源 投稿日: 2003/06/06(金) 22:04 
げっー、・・・・
明日の探検隊が楽しみです。
徳山隊も大島隊も、何故かヒデオさんですので、大発見につながるかもしれません。 


土岐家伝来の刀が見られます

1 名前:臣道 投稿日: 2003/05/28(水) 20:14 
土岐家伝来の刀の拵(鞘)が、代々木の刀剣博物館で見ることができます。
この刀は江戸時代の作で、土岐会会長実光家(土岐明智家)に伝わるものです。
定政か頼行か頼稔か、誰の時代のものか定かではありませんが、金の桔梗紋が、
鞘にふたつ、柄にふたつ計四つ輝いています。
豪放な中にも華麗な拵えが見られます。
「黒臘色塗鞘桔梗紋三所物打刀拵」
今回は刀身の陳列ではなく、鞘に収めた状態つまり「拵」を陳列しています。
2階が陳列会場で入口を入ってすぐ左側の陳列ケースに展示されています。
ご覧になりたい方は下記へ
「古刀新刀名作展」
平成15年6月8日まで
刀剣博物館
渋谷区代々木4-25-10
03-3379-1386〜88
小田急線参宮橋駅より徒歩約7分
開館時間 午前10:00〜午後4:30まで
休館日  毎週月曜日 


2 名前:沢源 投稿日: 2003/05/30(金) 00:44 
またまた、臣道様らしい玄人好みの情報をありがとうございます。
6月8日までに上京出来たら連絡しますので 


美濃の牛について

1 名前:名無し 投稿日: 2003/05/23(金) 09:12 
江戸時代の史料に、良い牛の産地として美濃と飛騨も数えられており,
美濃については、郡上の牛が美濃牛ではもっとも良いとされています。
美濃・飛騨の江戸時代の牧畜について何か御存じの方教えて下さい。
参考文献についてもお願いします。 


谷口先生

1 名前:まあちゃん 投稿日: 2003/05/18(日) 11:10 
谷口先生へ。当事者しか、わからないようなメ-ルのやり取りは困ります。
直接、沢源さんへメ-ルして頂き掲示板に書き込まないようにお願いします。
歴史について読者が興味を持つようなおもしろい記事を投稿して頂きたいと思います。
まあちゃんでした。 


2 名前:谷口 投稿日: 2003/05/18(日) 16:30 
ちょっと悪のりしてしまいました。失礼しました。以後、気をつけます。 


3 名前:Ryuko 投稿日: 2003/05/19(月) 08:38 
谷口先生、Ryukoにもメールアドレス教えてください。 


4 名前:谷口 投稿日: 2003/05/23(金) 09:05 
目下,小生のメールはしばしば不通になってしまいます。
原因を突き止める能力を小生が獲得するまで,しばしの猶予を下さい。 


会員の皆様へ

1 名前:tマネ 投稿日: 2003/05/13(火) 00:49 
tマネとは谷口先生付きマネージャーの略です。そこでtマネから会員の皆様にお願いです。
今年度は予定演題が決まっていますが、その他、「こういうテーマで話して欲しい」
というご要望がおありでしたら、この掲示板でお知らせ下さい。できる限りご要望に沿えるよう努力します。 


2 名前:大島 投稿日: 2003/05/19(月) 22:23 
土岐氏と尾張の関係についてお聞きできればと思います。特に土岐直氏の活躍、土岐氏時代の
守護代ではないかと言われている尾張の花井氏、富田氏との関係についても資料があればお願い
したいです。 


3 名前:谷口 投稿日: 2003/05/23(金) 09:01 
直氏については一度やってみたいと思っておりましたので、
ご要望の点なども調べた上で、一度お話させていただこうと思います。


恐縮

1 名前:沢源 投稿日: 2003/05/18(日) 18:44 
沢源は恐縮はしていました。




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