土岐氏調査・研究ノート
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【土岐氏庶流】
土岐猿子氏 |
土岐深沢氏 |
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土岐猿子塚(瑞浪市土岐町益見) |
土岐深沢五郎供養塔(瑞浪市日吉町深沢) |
【土岐小里氏】
美濃源氏土岐氏一族に小里氏があります。
尊卑分脈などの系図は、中世においては土岐光行の曾孫にあたる国氏の子、
国定を祖とし瑞浪市稲津町小里を発祥の地としていますが、中島郡平和町土岐弘樹氏宅より、
大垣戸田藩に仕えた小里吉左衛門政良から伝わった資料を解析すると、
九代美濃守護土岐政房の弟元房からの分かれと思われます。
元房の子頼連より小里氏となり、瑞浪市稲津町小里の興徳寺を墓所とする小里光明・光親・光重三代は、
頼連の孫からの起立で、政良は父光親の五男となります。
継承された家宝一式の中に、18世紀初頭に描かれた小里城や小里村の絵図が残っています。
図面上、興徳寺裏側の新城は中世の山城と思われ、城山は織田信長が命じて普請させ、
池田勝三郎を御番手におかせられた≠ニ「信長公記」に記載される小里城です。
特に、天守台の部分に枡形が見受けられます。
昭和29年、稲津村が瑞浪市として合併する際、地元の遺跡を整備する必要から、
この枡形部分を修復し石垣を積まれたようですが、
基礎の根石を含めて16世紀後半の遺構が保存されている可能性が高く、
又安土城よりも古い段階での枡形ともなりますので、小里城の天守台は岐阜県史跡でもありますから、
今後発掘調査が行なわれると、日本の歴史に大きな発展を及ぼすことになるでしょう。
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小里氏興徳寺慰霊祭 |
土岐市原氏 |
土岐萩原氏 |
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土岐市原氏宇留輪城ふもとの禅体寺
(瑞浪市土岐町市原) |
伝土岐萩原国実供養塔
(瑞浪市稲津町萩原) |
土岐明智氏 |
土岐妻木氏 |
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伝土岐頼基供養塔
(瑞浪市明世町山野内) |
土岐妻木氏菩提寺祟禅寺
(土岐市妻木町) |
土岐肥田氏 |
土岐下石氏 |
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鎌倉期十刹天福寺
(土岐市肥田町肥田) |
土岐下石氏おこし窯元団体名
(土岐市下石町) |
土岐蜂屋氏 |
駿河土岐氏 |
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馬篭脇本陣資料館の土岐蜂屋氏
(木曽郡山口村馬篭) |
徳山城主駿河の土岐一族供養塔
(静岡県榛原郡中川根町) |
【東北関東圏土岐氏史跡】
津軽土岐氏 |
高田城跡 土岐則基居城 |
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土岐頼行 |
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上山藩主土岐頼行の上山城 |
上山藩主土岐頼行・頼殷父子の墓所 |
(山県県上山市) |
(山形県上山市称念寺) |
土岐頼稔 |
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沼田土岐氏累代墓所 |
沼田土岐頼稔墓所 |
(群馬県沼田市東禪寺) |
(東京都品川区春雨寺) |
土岐光員 |
土岐景秀 |
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土岐光員(土岐光定弟) |
土岐景秀開基不動院 |
開基證証寺(東京都品川区三田) |
(茨城県稲敷郡江戸崎町) |
土岐治頼 |
土岐治英 |
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土岐治頼居城江戸崎城・土岐頼芸弟 |
土岐治英勧請鹿島神社・土岐治頼嫡男 |
(茨城県稲敷郡江戸崎町) |
(茨城県稲敷郡江戸崎町) |
土岐治綱 |
土岐頼英 |
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土岐治綱供養塔・土岐治英嫡男 |
土岐頼英位牌(土岐治綱嫡男) |
(茨城県稲敷郡東町上ノ島) |
と室虎姫(土岐胤倫女)画像 |
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(茨城県稲敷郡新利根町智心院) |
土岐胤倫 |
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土岐胤倫墓所・土岐治英二男 |
土岐治英勧請来迎院多宝塔 |
(茨城県龍ヶ崎市大統寺) |
(茨城県龍ヶ崎市) |
土岐頼春 |
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土岐頼春開基海雄寺・土岐為頼嫡男 |
土岐頼春居城万木城 |
(千葉県夷隅郡夷隅町) |
(千葉県夷隅郡夷隅町) |
土岐満喜為信 |
土岐重五郎 |
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上総土岐氏満喜為信墓所
(大垣市荒尾町圓成寺境内) |
土岐重五郎の墓・明智光秀子
(千葉県市原市海士有木) |
土岐圓宗 |
土岐持益 |
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光了寺開基土岐圓宗、土岐国村二男
(茨城県古河市中田) |
土岐持益墓所・頼芸孫
(埼玉県新座市東円寺) |
【近畿四国中国九州圏土岐氏史跡】
土岐光善 |
土岐頼信 |
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源光基後裔土岐光善氏と供養塔
(滋賀県坂田郡伊吹町大清水) |
土岐頼信供養塔・土岐頼春の子
(和歌山県那賀郡那賀町将棋石) |
土岐英包 |
坂本竜馬 |
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土岐伊左之助英包の墓・明智光秀後裔
(香川県綾歌郡綾歌町) |
違い桝桔梗紋坂本竜馬の説明板
(高知県高知市) |
土岐神社 |
徳川神社 |
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土岐康行玄孫土岐頼政の土岐神社
(愛媛県松山市荏原郡新張) |
土岐頼政の徳川神社と徳川城
(愛媛県松山市津吉町) |
土岐頼政 |
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ヌエ伝説と双生竹
(愛媛県上浮穴郡二箆小学校) |
徳川城主土岐頼政の墓
(愛媛県越智郡大西町) |
土岐政経 |
土岐金山氏 |
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土岐頼政の孫土岐政経以降の墓
(愛媛県今治市円浄寺) |
土岐金山氏墓所
(広島県尾道市) |
土岐城 |
土岐忠頼 |
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美可崎城・土岐城
(広島県因島市蔵ヶ鼻) |
土岐忠頼の墓
(鹿児島県曽於郡輝北町) |
宇佐土岐家
康永元年(1342)土岐彌五郎頼資は京を三百騎で脱出し、
豊前国(大分県)宇佐郡乙女村と尾永井村の三千貫を領し、豊前守と称しました。
これは土岐頼遠が光巌上皇の御幸と樋口東洞院で衝突した事件の後のことで、
その罪が三族におよぶことを避け宇佐へ下向、剃髪して豊前入道となり、
没後は長安院殿玄参大禅定門として長安寺に眠っています。
応安四年(1371)その子大和守頼實は九州探題今川貞世に従い筑前にて戦死、
その子頼清は大内義弘に属し菖領地を有し、その孫頼忠は土塁を乙女村に築いて住んだといわれています。
およそ100年後、天正15年(1587)2月土岐喜右衛門尉忠秀は三好秀次に従って薩摩に入ります。
天正17年、黒田甲斐守長政のために城地を没収せられましたが、
一族は子孫連綿と宇佐市下乙女の長安寺を軸に集落を成し、
気高さを失うことなく土岐氏末裔の誇りを今に伝え、
土岐尊憲家では盆と正月に必ず土岐祖源光衡画像を床の間に掛けられ、美濃と共に先祖の遺徳を偲んでみえます。
母方子孫の豊岡隆喜氏(東京都)より情報提供を頂きました。
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土岐尊憲家墓所
(大分県宇佐市下乙女) |
千葉県銚子市の戸木(土岐)家
《銚子探検隊報告》
平成16年3月7日(日)銚子に伝わる土岐氏を解明するために、調査を行いました。
隊員は、沢源さん、総源さんに、源臣さん、高澤さん、TOKI・KIMIKOさん、Ryukoの8名は
9時に蘇我駅改札口前に集合し、乗用車にて一路銚子へ。
戸木家の鈴木さんと岡田さんのビューティ姉妹とご実家「島武」のお母様の歓待を受けました。
戸木氏の菩提寺の興福寺に写真のお墓がありました。
江戸崎土岐氏や龍ヶ崎土岐氏が滅んだ後、
ましてや万木土岐氏にしても銚子辺りへ逃げた一族があったと推測もありましたが、
そうではなく、和歌山県御坊から移住した一族でありました。
何故、土岐から戸木と称していたかは不明ですが、これからの解明が待たれます。
11時から2時まで、鈴木さんと岡田さんのご実家にてお母様の手料理をご馳走になりながら、
土岐一族と桔梗の話で大変盛り上がりました。
3年ほど前から鈴木さんと岡田さんのビューティ姉妹が
土岐一族についての研究を進めて来られた二人フォーラムは、
美濃源氏フォーラムと結びついて、今後の研究の発展が楽しみです。
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千葉県銚子市興福寺の戸木家の墓 |
銚子探検隊員 |
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