揖斐大野の関連事業など

 ※終了 2009年 9月20日揖斐城巡りと健康ウォーキング
  「 揖斐城巡りと健康ウォーキング 」   ※好評にて終了

揖斐郡揖斐川町にありまして、土岐氏関連史跡です。 

参加者38名が麓の三輪神社に集合してから、すぐ際の松林寺へ行き住職さんと総代さんから説明。 

特に、境内隅には揖斐地区弓道場なるものがあり、
流石に西尾光教の治水や人作りの鍛錬志向が垣間見えます。 

この麓から登ること約20分で播隆上人が開いた一心寺がありますが、
お彼岸に合わせて「地獄絵」を見せて頂きましたが、
父母や先生などを殺めると地獄に墜ちる訳で、まともに直視出来ない地獄の風景です。 

そこからマタマタ登ること約20分で揖斐城の本丸に着きますが、
途中の道を始め城域などの草刈りを前日に揖斐大野事務局が行って頂きましたので、
歩く道すがら刈ったばかりの草の香りが清々しく、ただただ敬服するばかりです。 

山頂で昼食と説明で1時間半程取ってから、文学の小道を通り下山するわけですが、
途中膝が笑ってしまい休み休みの急坂下りでした。 

尚、文学の小道に因み俳句を募集しましたので、下記の二首を投句してみました。 

「山登り 癒やす木漏れ日 薄紅葉」 
「名残蝉 聴き息吐ける 五十路山」 

下りた直ぐ近くには揖斐川町歴史民俗資料館があり、
体験してきた土岐頼清・土岐頼康・土岐頼雄などの歴史を中心として観覧したわけですが、
特に美濃と伊予を結ぶ交通網として揖斐川の舟運に注目。

江戸期以降の解説が基本でしたので、
課長代理に今後の鎌倉・南北朝時代の更なる研究を要請して参りました。 

その外、俳句の表彰式があり、一首入賞しました。 

解散は予定通りで午後3時でしたが、普段の運動不足を解消する、正に健康ウォーキングな訳です。 


揖斐城 は美濃国揖斐郡にあった中世の山城。

標高220m、比高180mの城台山頂上に本丸があり、
土岐氏の支族である揖斐氏が約200年にわたって居城とした。

敷地は南北に約54m、東西に約14m。
現在は城台山公園として整備されている。


三輪神社 は、岐阜県揖斐郡揖斐川町にある神社であり揖斐川の総鎮守である。
創建時期は不明。

社伝によると、神武天皇の代、諏訪大社のご祭神、
武御名方富命(諏訪大社の祭神)が当地に三輪明神を祀ったのが最初という。

創建当時は播隆山の中腹にあった。 

803年(延暦22年)、最澄が自作の薬師如来像(比叡山延暦寺の薬師如来像と同じ霊木で造られた像)
を背負いながら諸国を旅をしていたとき、三輪神社で三和次郎大夫藤原助基と出会い、
横蔵寺を建立したという。

このことから、江戸時代までは西国三十三箇所観音霊場第三十三札所の華厳寺を参拝する前に、
三輪神社に般若心経を拝読していたという。


一心寺 は天保元年(1830)播隆上人の開祖で、
春秋の彼岸に展示される地獄絵図はこの一心寺に詣でた人達の心に深い感銘をよび起こす。

この播隆上人は独修独行の念佛行者と言われ、山岳にその浄地を求め、
また槍ヶ岳・笠ヶ岳の開祖でも知られている。




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