事業風景

平成24年4月7,8日 東濃瑞浪土岐市 、岐阜市長良 共通 美濃古代中世歴史講座

4月7日(土)
法政大学講師である谷口研語氏による『畑作の展開』についての講座が行われた。
年貢として米を作る稲作に対し、畑作は商品作物としての役割が大きかった。

水田10に対して畑は8か9の割合であったが、売ることで農民にお金が入り、
生活の向上に繋がっていた。

「五穀豊穣」という言葉があるが、この言葉が最初に出てくる書物は日本書紀である。
この「五穀」は日本書記の神代上第五段では「粟・稗・麦・豆・稲」とあり、
また同じ日本書記の終盤の持統7年3月条では「桑・紵・梨・栗・蕪青等」とあって、他にも諸説ある。

この時代の税の基本は米であったので、畑についての資料は極端に少ない。
わかるのは麦か桑くらいである。
絹が年貢として納められるようになったため、蚕の餌の桑の需要は多かった。

当時の天皇の食事についての延喜式(宮内省内膳司)という資料があるが、
これには野菜や山菜について、何をどれだけ献上に必要かがとても細かく記されている。

また同じように、漬物にする野菜についてや、
作物を作るにあたってどれだけの人や耕地が必要だったかがわかる資料である。






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