事業風景

6月3日(日) 岐阜市長良講座 武家文化歴史回廊講座


愛知文教大学地域連携センターの事務局長である唐松健夫氏による
「岩倉城主 織田信賢」の講座が行われた。

斯波氏と織田氏の関係について、斯波氏が越前・尾張・遠江を治めていた時、
越前と遠江は甲斐氏が守護代を務め、尾張の守護代は織田氏であった。
織田氏の出自は定かではないが、剣神社の神官の出であると言われている。

尾張守護代家は応仁の乱よって二分する。一つは伊勢守系織田敏広と斯波義兼、
もう一つは大和守系織田敏定と斯波義敏である。この頃敏広によって岩倉城が築城された。

敏広の死後、子の寛広が継ぎ、その後織田信安が当主となった。
信安の家臣であった山内盛豊はこの頃黒田城代になる。信安は後継問題により、
子の信賢に岩倉城を追い出されてしまう。信賢は浮野の戦いで清洲城主織田信長と戦ったが大敗し、
岩倉城で2、3か月の籠城の末降伏して追放された。

信賢はその後盛豊の子山内一豊のいる土佐へ行き没したとされている。







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