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101〜110
101: 瑞浪市生涯学習モデルグループ認定 (3)
102: 明智光秀 (1)
103: 30000人目の方へプレゼント (3)
104: 東京六本木講座 (3)
105: 明智光秀公顕彰会総会 (1)
106: 西濃地域の土岐氏史跡 (1)
107: 平成18年度スタート (12)
108: 谷口研語氏、ついに小説にデビュー (6)
109: 青森市高田城主・土岐大和之助則基 (27)
110: 携帯ストラップ (15)

瑞浪市生涯学習モデルグループ認定

1 名前:澤源 投稿日: 2006/07/13(木) 22:19:27 
去る7月7日生涯学習推進委員会において、平成18年度モデルグループの1つに「美濃源氏フォーラム」が選ばれました。
全体で10グループ、推進費として5万円支給されますので、予算不足の状況では誠に有り難く、推薦いただきました小倉委員と、
ここまで会員として継続頂きました諸兄に、心より御礼申し上げます。
尚、瑞浪市広報誌の8月15日号で紹介して頂けるとのことです。 


2 名前:Ryuko 投稿日: 2006/07/14(金) 07:20:58 
おめでとうございます。
15年間の地道な活動が、瑞浪市で認められたことがうれしいです。今後益々「美濃源氏フォーラム」を入口にして、
歴史に関心を持つ人が増えていくことを願っています。明日、7月15日は、「第2回東京講座」です。
瑞浪市で発祥した土岐氏が、遠く茨城県龍ヶ崎市に痕跡を残し、土岐氏の残した文化は、
今でも桔梗の紋が町中に溢れる『夏祭り』として続いている。今月のゲスト講師は盛本昌広氏で、
「竜ヶ崎土岐氏の発展とその後」です。お楽しみに! 


3 名前:澤源 投稿日: 2006/07/14(金) 20:33:09 
本日23時30分に自宅の裏山にある、中央自動車道の天徳瑞浪バス停から深夜バスに乗り上京します。
新宿西口に早朝5時30分につきますので、六本木事務所が開く10時までは学生時代に遊んだ新宿を懐かしく歩いてみようと思います。
そして、帰路は明日23時30分発新宿西口より、やはり深夜バスで早朝5時30分に天徳瑞浪着ですから、
まさに芸能人の忙しさを体験してみるつもりです。
その他、16日から17日にかけて亡き父の17回忌を家族全員7名で行いますが、
正に、美濃源氏フォーラムは父が亡くなった翌年からスタートしましたし、長女が22歳で三女が17歳ですので、
生涯学習をしている間に子ども達が大きくなってしまったようですし、父親の供養とも思える16年でありました。
それでは、皆様15日13時30分に東京六本木で会いましょう。
(有楽町てせはありません)
追伸 現在携帯電話が行方不明ですので、ご返事できず申し訳なし。 


明智光秀

1 名前:澤源 投稿日: 2006/06/26(月) 14:14:00 
現在放映中のNHK大河ドラマ「功名ヶ辻」での明智光秀について、多くの方から喜びの声をお聞きしています。
静岡大学小和田哲男先生監修にて進行しましたが、土岐明智氏としての描かれ方に感謝される「土岐さん」の声は・・・。
以前、「国盗り物語」では“土岐のバカ殿様”として表現されて長い間周りの人から言われ続けたが、
光秀が源氏のとか、「時は今雨が下知る五月かな」の土岐氏の掛詞とか、光秀の妻からは「貴方には朝廷が・・」とか、
清和源氏である土岐氏の嫡流としての土岐明智光秀に、自分を神として天皇を迎え入れようとした、
また暦までも改変しようとした憎っくき織田信長を討てとしたような、
そんな正義の味方として再認識されたかのようです。
振り返れば、夜な夜な帝の周りに現れたヌエを退治した源頼政や、大江山の酒呑童子を退治した源頼光や、
後鳥羽上皇の承久の変でも土岐氏は宮方に、そして後醍醐天皇の正中の変でも宮方にと、
清和源氏の、また土岐氏の歴史を知るものからすれば、本能寺の変においても同様に、
土岐氏は宮方として戦ったのであろう、という胸のすく展開であり、
1998年から瑞浪市へ来て頂き、明智光秀研究の基礎的問題点として講演頂いた通りとなってきており、
この慶事を同輩相揃い祝いたく存知ます。
尚、大津市西教寺にて明智光秀公顕彰会が16年間活動中でありまして、
出来うるならば、大河ドラマ「明智光秀」を実現させるために、全国の関係地域共々に頑張って参りましょう。 


30000人目の方へプレゼント
1 名前:澤源 投稿日: 2006/06/24(土) 00:43:51 
お陰様でホームページへの立ち寄りが3万人目が近づきました。
29990が澤源でしたので、恐れ入りますが29991番目から書き込み頂けたら幸いです。
30000人目の方、恐れ入りますが事務局へメールと共に、
当然この掲示板に記入をお願いいたします。 


2 名前:源章 投稿日: 2006/06/24(土) 11:16:47 
30000閲覧おめでとうございます。私も毎日みてます。因みに30001でした。 


3 名前:澤源 投稿日: 2006/06/26(月) 13:55:16 
残念ながら3万人目の方のメールが届きません。素通りされてしまったかもしれませんネ。
前後賞を用意しておけば、源章さまにも・・・・。
然し、それほどに訪問者の増大に感謝申し上げます。 


東京六本木講座

1 名前:Ryuko 投稿日: 2006/06/14(水) 07:05:10 
いよいよ今週末の6月17日(土)から美濃源氏フォーラム『東京六本木講座』が開講されます。
第1回は平田満男先生(稲敷市立歴史民族資料館館長)の「土岐一族、常陸国江戸崎へ分脈」、
谷口研語先生(法政大学講師)の「土岐氏の時代概要」です。土岐氏に焦点を当てた講座ですが、
お二人の先生は日本の中世史に造詣の深い方々です。幅広く中世という時代の息づかいを感じさせて頂ける講義となることでしょう。
残席数が僅かとなりましたが、関東圏で初めて開催される講座ですので、多くの方々に参加していただきたいと思っています。
お申込は美濃源氏フォーラム事務局へメール、もしくはFAXにてお名前と住所、電話番号をお知らせ下さい。
では、ラピロス六本木でお会いできること楽しみにしています。 


2 名前:澤源 投稿日: 2006/06/15(木) 10:44:06 
お陰様で、定員30名まで残すところ数名になりました。お問い合せの多い質問に、1回だけでも良いだろいか、
とあるのですが、何せ30名以上の席を用意することが難しく、登録者の方で欠席がある場合は入場も可能なのですが、
“座れない”という事もありえるので、現在は会員登録として受け付けております。
また、富士市の方からも岐阜県事務所へ問い合わせがあり、資料の有償頒布があるかとも質問を頂きましたが、
美濃源氏フォーラムで対応させて頂きますので宜しくお願い申し上げます。
 
 さて、私も16日夜9時頃から自動車にて上京し(結構荷物があるので)、
仮眠してから17日11時には会場入りして準備、
13時からの受付に備えますので、お楽しみにお越し下さいませ。
尚、事務局のお手伝いして頂けるボランティア運営委員を募集中ですので、
宜しくお願い申し上げます。 


3 名前:Ryuko 投稿日: 2006/06/19(月) 07:13:09 
6月17日、記念すべき関東での第一回美濃源氏フォーラム歴史講座が無事終了しました。
31名の参加者で会場は満席、岐阜県、愛知県から5名もの方々が応援に駆けつけてくださり感激でした。
平田先生の研究は古文書をパズルのように繋ぎ合わせる気の遠くなるような作業です。
今回は『上杉謙信が土岐治英に宛てた書状の後半に、治英の老母と幼少の息子の死を悼む内容』というのがあり、
この老母の法名を高野山過去帳には元亀4年2月9日和仙清融大姉とあり没年がわかるわけです・・・
とさりげなく語っておられましたが、謙信の書状に老母の一文を発見したときの先生の歓喜を想像しました。
また、谷口先生は3年間のシリーズということで、日本の歴史の大きな流れ、中世の位置、
中世までの歴史など幅広い歴史の一般教養を教えてくださるので、歴史オンチの私にも分かりやすい内容でした。
谷口先生から宿題を出された初代守護頼貞から頼芸までの守護の名前を覚えるには、
このホームページの「土岐氏美濃守護への道〜源国房から土岐頼芸まで」をご活用ください。
最後に会場を提供してくださった岐阜県東京事務所六本木センターの皆様の多大なお力添えは、
大きな励みとなりました。ラピロス六本木の10階エレベータはドラエモンのどこでもドア、あっという間に岐阜県です。
穏やかな笑顔の所長さんに迎えられ、楽しい東京講座がスタートしました。ありがとうございました。第2回は7月15日(土)です。 

 
明智光秀公顕彰会総会

1 名前:澤源 投稿日: 2006/06/15(木) 10:59:57 
6月13日から14日にかけて、平成18年度美濃源氏フォーラム史跡巡りに行って参りました。
参加者は、東濃の小倉征、郁夫妻・小倉氏のお友達小栗保・桑原隆・鈴木久・佐治夫妻・奥村高、
そして岐阜からは桑原由・土岐和夫妻の12名で、乗用車4台の大移動でした。
婆娑羅大名の佐々木道誉と土岐頼遠、そして土岐一族明智光秀がテーマでしたが、
大津市西教寺にて毎年行われる「明智光秀公顕彰会」の第18回総会もありました。
徳源院(道誉菩提寺)・勝楽寺(道誉墓)・退蔵寺(頼遠の遺児「越渓秀格」が住職・木造あり)・
永源寺(臨済宗永源寺派本山・越渓秀格住寺)・比叡山西塔、横川、東塔と、西教寺で、
この西教寺には明智光秀の妻の墓と一族の墓があり、全国の会員約900名中参加者約200名で、
特に先週のNHK大河ドラマ「功名ヶ辻」での光秀の活躍もあり、
新聞社3社にテレビが1社と、大盛会でした。 


西濃地域の土岐氏史跡
1 名前:澤源 投稿日: 2006/05/29(月) 07:13:19 
5月27日には養老の「ゆせんの里」へ、車いすでの入浴状況の確認に行ったものですから、
そのついでに土岐宇田氏の館跡と言われる養老町の大通寺に行ってきました。
そして、またまたついでに垂井町南宮神社西の真禅院にある土岐頼忠・頼益の記名し奉納した鉄塔と、
そして岩手宮ノ前の祥光寺にある伝土岐頼遠の供養塔などをお参りしてきました。
5月28日11時から揖斐川町の瑞巌寺にて、土岐氏毎歳法要があり参列し、
大変美味しい精進料理を頂戴してきました。
瑞巌寺では土岐頼清と頼康の菩提寺ですが累代の供養をこの時期にお祀りしておられ、
私の他は五十川家と馬場家が参列して見えます。
その帰り、墨俣町の明台寺(墨俣一夜城付近)にある土岐悪五郎のお墓を参りましたが、
これは土岐頼康の弟である、康貞のことであり、法要帰りの墓参りとなった次第です。
これらの西濃地域の土岐氏史跡は、実は私は始めてであり、念願が叶いましたので、
次年度6月13日〜14日の光秀公顕彰会参加の折に、コースに入れる予定手ですのでお楽しみに。
尚、来年の話の前に今年の話ですが、平成18年6月13日〜14日にかけて、
土岐頼遠と明智光秀を巡るたびを行いますので、希望者はご連絡下さいませ。
滋賀県の佐々木氏の氏神である佐々木神社と佐々木道誉の供養塔と、
また土岐頼遠の遺児が臨済宗永源寺第2世の「越渓秀格」であったことからその永源寺を、
そして何より14日には大津市西教寺で行われる明智光秀公顕彰会総会に参加します。
会費は、乗用車の乗り合わせで行きますので、参加者実費割り勘で約1万円ぐらいでしょう。
やっぱり、土岐氏の本場には色々と史跡が多く、全国の土岐氏関係者の皆様のご来岐をお待ち申し上げます。 


平成18年度スタート

1 名前:澤源 投稿日: 2006/05/10(水) 22:23:41 
5月6日(土)に東濃瑞浪講座が60名、そして翌日5月7日(日)午前中に揖斐大野講座に50名、
午後からは岐阜長良講座に40名にご参加頂き、
平成18年度の事業がスタート致しました。
特に、初日の東濃講座では開講前に平成18年度総会が行われ、原案通り全て承認されました。
つきましては、いよいよ東京六本木講座も6月17日(土)からスタート致しますが、本日埼玉県さいたま市の大竹さんより、
講座への参加をインターネットを見られて申込がありました。
昨年度の会員数が予定より55名程少なく、講義録発行が遅れておりますので、
今年度は全体で250名の会員登録を目指しておりますので、各講座へのご参加をお願い申し上げます。 


2 名前:Ryuko 投稿日: 2006/05/11(木) 04:01:00 
平成18年度のスタート、おめでとうございます。
東京六本木講座の開講も楽しみにしております。
また、美濃源氏フォーラムのHPを見られてお申込を頂いたとのこと、大変うれしいです。
大竹様、東京講座でお目にかかれるのを楽しみにしております。
東京講座は、会場の関係で20数名が限度ですので、参加希望の方はお早めにお申込ください。 


3 名前:澤源 投稿日: 2006/05/12(金) 09:25:13 
実は、5月9日深夜メールチェックをしてから深夜2時頃寝室へ戻ろうとしたところ、
二階の最上階の階段を13段を転げ落ちてしまいました。
階段のそばに子どもが一人寝ていますので、明るくするのも気の毒で、
真っ暗ではありますが何せ自宅ですので、真っ直ぐ歩いたつもりでも曲がってしまい、
左足が外れてしまい、暗闇を落ちてゆく中で“間違いなく入院だ”と思っていました。
有り難いことに、階段下には掃除機などがあったものですから、
頭を打ち付けることなく、左手の親指辺りだけが自重に押されて捻挫だけですみました。
後日、多少の気怠さはありましたが、現在親指のみの捻挫治療が3日で終わりそうです。
結局、左足が外れてから、立った状態で何段かづつを掛け下がった状態だったのでしょう。
このくだりをある方に話し、“これも偏に美濃源氏教という新興宗教のお陰です”と言ったところ、
最後にやはり“落ちがありましたねぇ”と一件落着でありました。
美濃源氏教は冗談ですが、やはり目に見えないチカラが守って下さっているような気がします。 


4 名前:源臣 投稿日: 2006/05/12(金) 19:28:30 
お見舞い申し上げます。
びっくりしました。13段も落ちて、
よく親指のみで済みました。
3日間で済んでほんとに良かった(と申し上げたら失礼・・)ですねえ・・・。
大切な体なんですから充分お気を付けください。 


5 名前:Ryuko 投稿日: 2006/05/12(金) 21:44:59 
大事に至らずよかったですね。見えない力に感謝です。
あまりがんばり過ぎないように、そして飲み過ぎないように・・・・私自身への戒めも含めて・・・
明日、恒例のお田植え祭りに加子母村に出かけます。・・・中津川市になりましたが、加子母はいつまでも村であってほしい所です。
なつかしい瑞浪までは行けませんが、東美濃のおいしい空気をいっぱい吸って来たいと思います。 


6 名前:源章 投稿日: 2006/05/12(金) 23:42:27 
大事に至らずなにより。 


7 名前:名無しの権兵衛 投稿日: 2006/05/13(土) 04:36:34 
家内が言うのには、肉布団巻き付けて落ちたの、とのことでした。 


8 名前:ホネホネロック 投稿日: 2006/05/14(日) 12:27:28 
井澤様、その後のお体の調子はいかがでしょうか?
ご多忙な毎日、ご自愛なされますように。 


9 名前:澤源 投稿日: 2006/05/14(日) 13:37:05 
えーな、整体は、という所で、体をオーバーホール中です。来週には復活するでしょう。 


10 名前:岐陽山人 投稿日: 2006/05/15(月) 19:55:54 
澤源様 3日前の深夜は予期せぬアクシデントで大変でしたね。お見舞い申し上げます。
不死身の兄のことですから、すぐ良くなられてまたご活躍なさることと思います。
今日、電話で岐阜市内在住の松原英正様から入会の申込みがありました。
6月4日に岐阜会場(ケミック)へお越しになるとのことです。 


11 名前:澤源 投稿日: 2006/05/15(月) 21:53:13 
 土岐氏の時代にすでに「岐陽」ありしと言われておりまして、洛陽に対して「岐陽」とはこれいかに。
正に、洛水の北側の陽当たりが良い南向きの北側の斜面が「洛陽」なら、
岐蘇川の北側の南向きの日当たりの良い所を「岐陽」といったのでしょう。
禅僧や公家が応仁の乱にて美濃へ逃れ、その肥沃で文化首都を「岐陽」としたことは、
当然スポンサーである【土岐氏】への気遣いもあり、土岐氏の「岐」と「岐蘇川」の「岐」を考慮の上、
「岐陽」としたものではないでしょうか。その後、
「岐阜」の名前も「岐陽」のあとから産まれているので、
それは織田信長が美濃に入り、井ノ口を岐阜と改めるよりも100年以上前であるので、
正に「土岐氏の時代」において「岐陽」も「岐阜」も命名されたということは、
現在の岐阜県の「岐」の字は、土岐氏にもとづくもので、
岐阜県は土岐氏を顕彰せなければならないのではないでしょぅか。
 話は長くなりましたが「岐陽山人」様、またまた新入会員の獲得ありがとうございます。
今年度は全体で230名の正会員が必要で、そのためのご協力に感謝申し上げます。
 尚、揖斐郡池田町の原さんや埼玉県さいたま市西区の大竹さんも問い合わせがあり、
入会していただいております。 


12 名前:源章 投稿日: 2006/05/20(土) 23:37:28 
今日は有難うございました。楽しくって水割り5杯も飲んでしまいました。 

  
谷口研語氏、ついに小説にデビュー

1 名前:澤源 投稿日: 2006/03/06(月) 09:12:13 
美濃源氏フォーラムで、いつも講師をお願いしています法政大学講師谷口研語先生が、ついに小説を発表されることとなりました。
題名は「森長可」、4月上旬にPHP文庫から発刊され店頭に並びますので、是非皆様お買い上げのほどお願い申し上げます。
もちろん、土岐一族から斎藤氏、信長や光秀に秀吉が登場していますし、東濃地区の地名も出身地の兼山町を中心にして、
山城なども出て来るらしいです。
なんと言っても、中世史の専門家の処女作ですので、大反響となることでしょう。
詳細は、1刷の巻頭言を入れていただきRYUKOさんに、コーナーを御願いいたしたく存じます。 


2 名前:澤源 投稿日: 2006/04/07(金) 00:10:14 
昨日、谷口研語著「森長可」がPHP文庫から発売されましたので、都合6時間で360ページを読み終わりましたが、
流石中世戦国の歴史研究者の著書ですので、
歴史の流れてゆく場面が、素晴らしいスピード感でありました。
さあ皆様、明朝に書店へ足を運んで頂き、この感動を是非味わってみてください。
尚、文中に登場します「犬山の悪徳御用商人で薪炭や木材など取り扱う井沢屋康兵衛」は、
著者の創作したキャラクターらしいですが、なかなか面白い人物でもありました。 


3 名前:北転船 投稿日: 2006/04/07(金) 12:48:49 
「犬山の悪徳御用商人で薪炭や木材など取り扱う井沢屋康兵衛」とは又、
どこかで聞いたことがあるようなキャラクターですね。
谷口研語先生の「森長可」、是非拝読してみたいものです。 


4 名前:Ryuko 投稿日: 2006/04/08(土) 00:45:35 
私も、さっそくアマゾンに注文しましたので、来週始めには届くと思いますので、楽しみに待っているところです。
アマゾンで、谷口先生著の「美濃・土岐一族」にプレミアがついて、3倍の値段がついていました。
再版の予定はないのでしょうか? 


5 名前:澤源 投稿日: 2006/04/08(土) 13:48:25 
「美濃・土岐一族」が何と、3倍になったのですか。うれしい限りですが、追加刷りになってほしいものです。 


6 名前:澤源 投稿日: 2006/04/11(火) 10:24:50 
RYUKO様、早速ホームページの表紙に「森長可」の写真入りで掲載賜り、ありがとうございました。
東濃の土地勘のあるものには、堪らない御馳走ですし、遠く古里先祖の土地に想いを馳せる方々にもお勧めです。
何より、歴史ファンには、ここぞとばかりの中世戦国史の筆致が、ご堪能頂けるものと、推薦の言葉と致します。 


青森市高田城主・土岐大和之助則基

1 名前:青森県・高田 投稿日: 2004/02/14(土) 23:51 
美濃源氏フォーラム in 青森 の文中にあります 「高田城主・土岐大和之助則基」は、
青森県上北郡七戸町の高田家の先祖に当たります。
三戸南部氏の武将として青森市高田城主を務めていましたが、天正年間(1578年頃)、大浦(津軽)為信の津軽統一の際、
父・土岐大和之助則基は青森市高田城において、長男・土岐善兵衛則里は青森県浪岡城において戦死、
次男・土岐善助則忠は、北畠氏を補佐し浪岡城にいた津軽郡代南部彦次郎政信(南部氏26代南部大膳太夫信直公の実弟)
の姫君を戦乱の津軽から救出、三戸城に乱を遁れ、その姫君が七戸城主・七戸隼人正直時に輿入れした際、
付け人として七戸に移り、七戸城主の命により高田に改姓しています。
以来、高田家一族は青森県上北郡七戸町を中心に現在に至り、土岐姓も残っています。
ただ、三戸南部氏は甲斐の国南部庄(山梨県南部町)から出ていますが、
「土岐大和之助則基」の先祖がどちらの「土岐」か全く判りません。資料も無く、今後の研究課題です。 


2 名前:沢源 投稿日: 2004/02/15(日) 11:05 
美濃源氏フォーラム会員で、青森県でのフォーラム開催をした黒石氏の土岐さんは
元青森県りんご試験場に勤務された方で、今後の活動を是非ご相談くださいませ。
岩手県下閉伊郡史より、現在の宮古市に正中の変で活躍した土岐頼兼の孫にあたる
土岐頼孝が移り住み、その後北部へ移住したことが地元の郷土史で紹介されています。
その他、室町幕府初代美濃守護土岐頼貞の兄である定親(さだちか)が茨城県江戸崎へ
養子となり、土岐原氏となっていますが、この江戸崎城が戦国時代に落城したときに
海から逃げて茨城県北部へ逃げた事なども伝えられています。
尚、青森県三戸町には土岐姓の寺院が一軒ありますが、以前訪問した時は土岐とは関係なし
と言われたのですが、三戸町移住に伴い誰かの菩提を弔うための寺院か、
又は関係者かもしれませんので、もう一度その辺りを調査してみては如何でしょう
とにかく、青森県には青森市・五所川原市・弘前市を始め全国一の土岐姓が固まっていますので
ただ、その割に東北全地域に分布するわけでもありませんので
今年是非とも、第2回美濃源氏フォーラムin東北青森を開催しましょう 


3 名前:名無しの権兵衛 投稿日: 2005/05/18(水) 00:54:43 
青森市・高田城主 土岐大和助則基の先祖はその昔、甲斐の国(山梨県)南巨摩郡の南部町近辺から、
現在の岩手県・青森県方面に移住してきたようです。
高田城主・土岐大和助則基の四代前の祖・土岐兵庫則良は享徳元年(1451年) 甲斐万徳寺に、三代前の土岐兵部則行は志和光源寺に、
二代前の土岐兵部則広は延徳2年(1490年)志和光源寺に、
一代前の土岐善兵衛則貞は天文4年(1535年)長喜時寺に、それぞれ埋葬されています。
おそらく、甲斐南部氏の奥州下向に従って、馬産の技術とともに北奥羽の地に移ってきたのではないでしょうか。
今後は、それぞれの寺の所在地を確認するとともに、甲斐南部・土岐兵庫則良より以前の甲斐・土岐家について調べてみたいと思います。 


4 名前:Ryuko 投稿日: 2005/05/18(水) 06:55:34 
高田様
東北旅行のおりは大変お世話になり、ありがとうございました。
東北見聞記をまとめたいと思いながら日々が過ぎています。
山梨県には山や緑に誘われて時々出かけます。上記のお寺は現存するのでしょうか?
わかったら教えてください。立ち寄ってみたいと思います。 


5 名前:青森県・高田 投稿日: 2005/05/18(水) 09:33:54 
Ryuko様、過日の来青の際は有り難うございました。
おかげ様で、これまで怠けがちであった私の”ご先祖様探し”も、少しは火が点いたようです。又のお越しをお待ちしております。
さて、青森市高田城主・土岐大和助則基の先祖の眠るお寺は、いずれも現在のところ判明しておりません。
甲斐万徳寺は現在の山梨県南巨摩郡南部町・身延町近辺、志和光源寺は岩手県紫波郡紫波町近辺ではないかと類推しておりますが、
残念ながら正確な山号・寺名含めてその所在は全く不明です。先輩諸氏のご教示をいただければ幸いです。
長喜時寺は漢字名相違の可能性もありますが、沢源様の言われる”青森県三戸町に現存する土岐姓の寺院”と関係が在るのかどうか、
また、青森県に多いと言われる津軽・土岐氏系と、
山梨県から北上してきたと思われる甲斐南部・土岐氏系との関わりは有るのかどうか等、
今後更に勉強してみたいと考えています。 


6 名前:澤源 投稿日: 2005/05/18(水) 09:51:24 
権兵衛様・青森高田様
万徳寺は現在山梨県の電話帳には出てきませんが、万徳姓の方が甲府市に1軒ありました。
また、光源寺は東山梨郡勝沼町等々力に現存していましたが、果して関係ありや無しや。
お二人の調査結果が、この掲示板の愛読者に、興奮と感動を伝えていますので、頑張って下さい。
尚、高田様は先日Ryuko様と東北で会われたと思いますが、その際黒石市の土岐さんとも交流され
今後の青森での美濃源氏フォーラムin青森について意見交換して頂けたものと存じます。
ついては、8月20日土曜日山形県上山市かみのやま温泉にて『美濃源氏フォーラムin山形かみのやま』を
開催しますので、既に参加希望をしてみえます黒石市の土岐さんとご一緒にお越し願えたら幸いです。
尚、詳しい日程は平成17年度美濃源氏フォーラム事業案内を御覧下さいませ。 


7 名前:光憲 投稿日: 2005/05/21(土) 21:02:37 
 私は現在、明智姓を名乗っていますが、曽祖父の明田潔が明治初期に光秀
の末裔として政府に申請して明智姓に復姓しております。明田潔の父鉄太郎
は津軽藩士で能管(能で用いる横笛)の名手だったと伝えられています。
 京都にある光秀首塚を江戸中期に作った光秀子孫は明田理右エ門という
人で、やはり能管の名手と伝えられています。鉄太郎と理右エ門とがつながる
のではないか(おそらく2〜3代の違い)と思い、鉄太郎の津軽藩での記録が
ないものかと思っていました。高田様の情報で「津軽土岐氏」の存在を初めて
知り、何かの因縁がありそうな気がしてきました。是非「津軽土岐氏」の情報
をいろいろお教えいただきたいと期待しております。 


8 名前:澤源 投稿日: 2005/05/26(木) 09:59:20 
現在青森県の明田姓は7軒で、そのうち5軒が東津軽郡今別町にありますので、
問い合せされてみるのは如何でしょう。又、北海道には101軒もありますが、
その他の東北地方では福島で4軒みうけられるだけで、
東北・北海道だけでも簡単に調査出来そうですね。 


9 名前:光憲 投稿日: 2005/05/26(木) 21:40:40 
澤源様、明田姓の情報ありがとうございます。東北地方には意外と少ないですね。
いずれ調べてみたいと思いますが、どのような調査方法が適当でしょうか?このよ
うな調査経験がないので調査方法に皆目見当がつきませんので。
 それから、「光秀陶人形」受け取りました。ありがとうございます。今、パソ
コンの横の棚の上から私を2人の桔梗紋の兜の武者人形が見下ろしているところです。 


10 名前:Ryuko 投稿日: 2005/05/26(木) 22:19:02 
私のパソコンの横でも、かわいい光秀親子(?)の人形が微笑みかけています。
かわいいものを見ると心が和みます。ありがとうございます。
青森県・高田様、地元の強みで青森の明田姓についても研究していただけませんか? 


11 名前:澤源 投稿日: 2005/05/26(木) 23:05:29 
このたび、明智光秀陶人形を用意しておりましたら、噂を聞きつけた光憲様に第1号を購入頂きました。
尚、ホームページへの登録のためRyuko様にお手数をお掛けしますが宜しくお願い申し上げます。
いよいよ、6月14日の明智光秀公顕彰会で、光秀陶人形が、今ベールを脱ぎます!! 


12 名前:青森県・高田 投稿日: 2005/05/26(木) 23:12:12 
全国の土岐姓3,090軒のうち、11%に当る349軒が青森県に居住(土岐公文氏調査)されているとのことです。
特に、日本海側の旧津軽藩領内に多く、85%を占めているようです。
確かに、青森県内において土岐姓はけっして珍しい存在ではなく、
青森市・五所川原市・黒石市等には土岐姓の群住地区も見うけられます。
ただ、残念ながら私は、太平洋側の旧三戸(盛岡)南部藩領内の七戸・土岐高田家の分家筋の流れで、
津軽系土岐一族についてはあまり詳しくありません。
手元の資料を調べておりますが、津軽系土岐一族については、大浦(津軽)為信が青森市・油川城を攻めたとき、
寄せ手の津軽勢の中に土岐某の名が見えるだけです。
いずれ時間を取りまして、津軽・土岐一族および津軽・明田一族について、弘前市立図書館等で調べてみたいと思います。 


13 名前:澤源 投稿日: 2005/05/26(木) 23:17:06 
光憲様
明田姓の調査は、まず青森県東津軽郡の方へ連絡し、ご先祖の情報について直接聞かれれば宜しいのでは。
旧姓が明田と名乗られれば、好意的に教えて頂けるのではないでしょうか。
そのあと、当然手紙で詳細を書き、又調査報告を途中でもされる旨をお忘れなく。
それから、全国への呼びかけは1軒200円+100円程がかかるでしょうから、
ご予算と相談され、明田サミットを行なうかどうかだと思います。
参加者の中には、直接情報を持たなくても、今後の研究を行なう同志が現れてくるようです。
尚、むピンポイントで調査するには、全国の群生域の電話番号の若い家に連絡をとる事がよいでしょう。
因みに、以前NTT全国電話帳データ−ベースが以前販売されていましたが、
個人情報保護法制定以来今でもあるものかどうかだと思います。
ご検討をお祈り申し上げます。 


14 名前:青森県・高田 投稿日: 2005/05/27(金) 19:01:47 
青森県内各地の電話帳を入手しましたので、東津軽郡今別町に在住される明田一族の由来について、早速調査してみます。
光憲様、結果について、今しばらくお待ち下さい。 


15 名前:青森県・高田 投稿日: 2005/05/27(金) 20:46:57 
”津軽藩士明田鉄太朗”の記述を、インターネット上で見つけました。
光憲様がおっしゃるように、明治になって明田から明智に改姓しているようですね。 


16 名前:Ryuko 投稿日: 2005/05/28(土) 06:59:03 
高田様
お忙しい中、早速調査に入っていただき、ありがとうございました。
青森土岐一族の解明に繋がる情報が出てくるといいですね。
源臣さんと小菅村調査に同行した源秀さんは、趣味のお寺巡りに墓地散策が加わり、
弘前の津軽為信の菩提寺、長勝寺でも桔梗のお墓を探していました。
丸に桔梗の金森家のお墓が一つありました。武富士襲撃で犠牲になった若い社員の慰霊碑もあり、思わず手を合わせました。
寺町を散策されることがありましたら、高田様も墓地を覗いて見てください。
五重の塔の最勝院でいきなり大きな桔梗紋が目に飛び込みましたが、智山派の桔梗でした。
最勝院にはクリスチャンのお墓がたくさんあり、もしや隠れキリシタンのお寺かと思いましたら、
教会に墓地を貸しているとのことでした。
弘前は歴史を感じるいい町でした。またいつかお伺いします。 


17 名前:delete 投稿日: delete 
delete 


18 名前:光憲 投稿日: 2005/06/01(水) 22:14:14 
高田様 澤源様
 津軽藩明田姓の調査についていろいろご配慮いただき大変ありがとうございます。
 現在私の身動きがなかなかつきにくい状況ですので、しばらくは皆様にいただいた
情報を懐で大事に暖めさせていただきます。おかげさまで自分のルーツをたどるとい
う楽しみが大いに膨らんできております。
 私もインターネットで明田鉄太朗の記載を確認しましたが、書かれている内容は学研
が出版した「俊英 明智光秀」に永井寛という方が書いた文の引き写しでした。永井氏
の文章自体がほとんど私の祖父の書いた「光秀行状記」の引用なのですが、光秀の子供
の「松寿丸の子孫」というのは永井氏の勘違いか創作です。おそらく松寿丸が明田姓を
名乗ったと記した熊本安国寺に伝わる土岐系図と結びつけたものと思われます。祖父の
記憶では「於寉丸(おずるまる)」とのことですが、その系図は関東大震災で失われ現
存していません。世の中に「於寉丸(おずるまる)」という子供がいたと記した系図は
ないと思いますので、逆に真実味があると感じています。(世の中に伝わる光秀の子供
の名前の書かれた系図の信憑性はいずれも疑わしいものですので。)
 なお、「光秀行状記」で祖父は「明田鉄太郎」という漢字を書いており「朗」という
漢字も永井氏の誤記です。ちょっと大げさですが歴史の伝承が変転していく様を垣間見
た感がしました。後世のために、やはり正確な伝承を行うことが義務だと思い、くどく
どと訂正文を書かせていただきましたがご容赦ください。 


19 名前:青森県・高田 投稿日: 2005/06/06(月) 10:30:59 
 青森県東津軽郡の明田家当主の方から、お話を聞くことができました。
それによりますと、東津軽郡の明田家は、今から300年ほど前にどこからか兄弟で移住してきて、
代々、明田半三郎を襲名し地区の庄屋を勤めてきた家系だそうです。
訳あって現住地に移住し、出自を隠すためそれまでの姓から明田姓に替え、
明治初期にも復姓せず明田姓の継続使用を選択してきたようです。
東津軽郡には数軒の明田姓がありますが、本家と親戚の家以外は、明治時代に明田姓を許した小作分家とのことで、
その後北海道に移住して行った家もあるとのことでした。
ただ、東津軽郡・明田家も、永い間に養子で家督相続した時期があり、現在まで正確な歴史が伝わっていないとのことで、
「津軽藩士・明田鉄太郎」にも反応がありませんでした。
親戚には古文書も数枚残っていますが、歴史好きな親戚の方が弘前市在住の郷土史家に読んでもらったところ、
そのうちの1枚は小作の借金の保証人に庄屋として押印したときの文書だったようです。
現在はその歴史好きな親戚の方もすでに亡くなっており、それ以外の詳細は不明とのことでした。
 青森県東津軽郡にはその昔、三戸南部氏の武将・平杢之助俊忠の治めていた「大開城」がありましたが、
現在その城跡が周囲含めすべて国有地(営林署管轄)になっているなか、唯一明田家のみが城跡に隣接した土地を所有しているとの事、
家伝は途絶えているというもののそれなりの格式の家柄だったのではないかと推察されます。
 東津軽郡・明田家の家紋は代々「竹に向かい雀」との事ですが、
これは仙台藩主・伊達家の家紋「竹に二羽飛雀」と羽の角度が僅かに異なるだけの酷似したもので、
津軽藩士・明田家および土岐・明智氏との関係をどのように考えればよいのか、少々行き止まってしまいました。 


20 名前:美濃林 投稿日: 2005/06/06(月) 16:06:44 
「明智一族宮城家相伝系図書」などご関心があればメールにてお送りします。{
古代氏族系譜集成」著者宝賀寿男氏の明智一族に関しての研究論文です。 


21 名前:光憲 投稿日: 2005/06/06(月) 23:37:08 
高田様
 丁寧に調査いただき大変ありがとうございます。どうも私のルーツとはつな
がらないようですが、このような確認ができただけでも大いに前進したと思い
ます。まだまだあきらめずにゆっくり手がかりをさぐりたいと思います。
 わざわざ明田家の方にお話を聞いていただき、いろいろお手数をおかけしま
したが本当にありがとうございました。 


22 名前:青森県 投稿日: 2006/01/07(土) 22:55:24 
以前、沢源様から情報をいただいておりました青森県三戸郡三戸町同心町にある土岐姓の寺院の御住職 土岐隋專さん(88) 
が、昨年10月にお亡くなりになられたようです。
機会を作ってお話を伺ってこようと考えていましたが、遅きに失してしまいました。 合掌 


23 名前:澤源 投稿日: 2006/01/08(日) 10:48:29 
一度乗用車にて、上山城から黒石経由で弘前城、青森市内から酸ヶ湯泊で青森へ訪問時に訪ねてゆきました。
そのとき、土岐随専氏にお目にかかりましたから、それも土岐氏サミットのアンケート返信を頂戴したものですから、
お会いした状況を思い返しております。ご冥福をお祈り申し上げます。 


24 名前:澤源 投稿日: 2006/02/20(月) 23:38:59 
本日、青森県の黒石市にて「土岐米」が栽培されていることを知りました。
いよいよ、3月17日に3年振りに日本人の心の古里である「米」が解禁になりますので、
是非とも、この「土岐米」に感涙しそうです。 


25 名前:青森県・高田 投稿日: 2006/03/01(水) 17:37:17 
「土岐米」の栽培されている青森県黒石市、流れている浅瀬石川のわずか4〜5km下流に国指定の史跡「垂柳遺跡」があります。
「垂柳遺跡」は昭和56年、それまで群馬県高崎市日高遺跡が北限とされ
「東北北部に稲作が伝播するのは8世紀以降」と考えられていた日本の稲作文化の定説を一気に塗り替えた遺跡です。
今から2000年前の弥生時代の水田656枚の跡や、農作業している弥生人の足跡、畦・水口・水路跡、炭化米など多数の、
「弥生時代中期には、すでに青森県津軽平野においても稲作が行われていた」証拠が発見されています。
澤源様、平安時代中期からの水田の近くで栽培された「土岐米」で、是非感涙されてください。 


26 名前:青森県・土岐高田 投稿日: 2006/04/07(金) 13:45:29 
青森市高田城主・土岐大和之助則基の次男・土岐善助則忠は七戸・土岐高田家へ繋がりますが、
次兄とともに津軽郡代・南部(浪岡)彦次郎政信(三戸南部氏26代南部大膳太夫信直公の実弟)の
姫君を戦乱の津軽から救出した三男・土岐善四郎則古(ノリハル)は、
その後、姫の付き人として七戸城下に移住した次兄・土岐善助則忠から二戸・高家村の土地を譲られて福岡給人となり、
その長男・土岐理左エ門良政は、三戸南部藩の分割によって成立した八戸藩の初代藩主・南部左衛門佐直房公の家臣となっています。
二戸・高家村は現在の岩手県九戸郡軽米町高家地区と思われますが、
そのうち機会を作って、岩手県軽米町近辺に土岐家が現存していないか調べてみたいと思います。 


27 名前:澤源 投稿日: 2006/04/07(金) 22:49:52 
青森県・土岐高田様、素晴らしい調査をありがとうございます。大きな切っ掛けとなるでしょう。
恐らく、足で稼ぐしかないものと存じますが、今まで誰もやらなかった作業ですので、すごいことになるでしょう。
平成18年度の事業計画は全て決定しましたが、来年以降是非「美濃源氏土岐氏研究講座」での発表に繋がるものですから、
その土岐を楽しみにお待ち申し上げます。 


携帯ストラップ

1 名前:澤源 投稿日: 2005/06/01(水) 09:19:34 
源章様制作の携帯ストラップは、とても使い勝手がいいので、大変重宝しています。
ありきたりのものではないので、それ何、へぇー変わってるネェとのコメントもありました。
本日、Ryuko様から事務局にも沢山届きましたので、6月18日の講座でも販売を始めます。
尚、すでにこの掲示板を見られた岡山の土岐さんから、郵便にて申込がありました。 


2 名前:澤源 投稿日: 2005/06/10(金) 10:39:22 
本日、横浜市旭区の土岐さんからも、5個のオーダーがありましたので、同封してありました返信封筒ににいれ、
且つ速達料金も張られていましたので、早速お手元にお届け致します。 


3 名前:Ryuko 投稿日: 2005/06/10(金) 20:47:06 
携帯ストラップのご注文、ありがとうございました。
木札芸術の世界を源章さんのHPでご覧ください。
http://www.geocities.jp/iron_tokihard/ 


4 名前:源章です 投稿日: 2005/06/15(水) 23:49:38 
木札芸術?んなこと言って下さんな。こそばゆくって言うより恥ずかしい。
改めて言いますが土岐桔梗は縮小コピーを切り抜いて貼り付けて色付けっすよ。
金蔵親父は絵心が有りましたが、倅の私は真似っこです。剣道は自分の試合とかの写真の写しです。現物は稚拙です。 


5 名前:名無しの権兵衛 投稿日: 2005/06/18(土) 11:48:17 
源章様
いやいやご謙遜を・・・・
金蔵様の千社札も素晴らしいものでしたが、源章様の木札ストラップは源章様のオリジナル作品。
立派な芸術作品だと思います。 


6 名前:澤源 投稿日: 2005/06/19(日) 22:37:17 
源章様、昨日と本日美濃源氏フォーラム瑞浪講座・大野講座・長良講座が開講されましたが、
アーラ、可愛いと人気があり、美濃源氏と桔梗を中心に10点ほど頒布できました。
尚、200円ならも、もっと欲しいとの声もありましたが、美濃源氏フォーラムの活動の一貫と
ご理解を頂く事ができました。
ついては、土岐と桔梗は是非土岐姓氏者必需品ですので、全国の土岐さんからの連絡をお待ち致します。 


7 名前:源章 投稿日: 2005/07/31(日) 21:59:04 
祝・甲子園出場、土岐商業。土岐の名が付いた高校が甲子園へ。
前回の時、「おめでとう、お前を思い出したよ」何て友達から電話がありました。今回も「おい、元気か?」と電話がありました。 


8 名前:源章 投稿日: 2005/08/14(日) 00:01:20 
土岐商業負けちゃいましたね。 


9 名前:Ryuko 投稿日: 2005/08/14(日) 16:49:14 
私も土岐商業を応援していたのですが、残念でした。地元だけではなく全国の「土岐」さんが応援して下さるのはありがたいですね。
これからもがんばってほしいと思います。 


10 名前:源章 投稿日: 2005/09/02(金) 17:33:21 
土曜日は屋形船から鵜飼いを見ながら一杯。翌日は地球博へ行きますが、土岐市も瑞浪市も会場から近いのですね。 


11 名前:澤源 投稿日: 2005/09/03(土) 08:07:29 
7月から8月にかけて、嵐のような2ヵ月間でありました。
15周年記念事業の準備、土岐頼兼公墓所の掃除から鶴ヶ城の探索、そして美濃源氏七夕祭りの中での講座開講、
、また美濃源氏史跡探訪ツアーを平泉から山形かみのやま温泉と続き、8月末提出の税務申告まで、
よくぞ皆様お付き合いくださいました、と言うところです。
 さて、その間には土岐商業高校の甲子園出場もありましたが、残念ながら1回線敗戦となりましたが、
これで有名になれましたし、駅伝とともに二枚看板となったようです。
 直、9月3日から愛・地球博へみえるとのことですが、会場のすぐ隣が土岐氏発祥地ですので、
万博へ来られた方は、是非とも一度土岐氏発祥地へ立ち寄られることをお奨めします。 


12 名前:澤源 投稿日: 2005/10/13(木) 20:57:33 
11月8日、瑞浪の桜堂薬師のある桜堂公民館で、桜堂薬師保存会の方と共催にて文化講座を開催しました。
その際、地区の方から源章さまの根付けが面白いとてお買い上げがありました。
やはり、文化人には大変喜ばれるようです。 


13 名前:源章 投稿日: 2005/10/19(水) 13:03:27 
売れましたか、お手数お掛けいたします。
最近では三味線だのお琴、手長海老、烏賊。上手くなりませんね。 


14 名前:澤源 投稿日: 2006/02/23(木) 11:41:43 
横浜の梶浦さまから、桔梗携帯ストラップのご注文を事務局へ郵送にて頂きましたので、
本日発送いたしました。楽しみにお待ち下さいませ。 


15 名前:delete 投稿日: delete 
delete 

   


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