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151〜160
151: 林丹波守の多宝塔 (1)
152: 旧姓石谷氏より問い合わせ (3)
153: 静岡県徳山土岐氏 (4)
154: 九州福岡で地震 (3)
155: 明智光秀桔梗盃 (14)
156: 土岐一族斎院氏について (2)
157: 中山道みたけ館 美濃源氏勉強会の御知らせ (1)
158: 平成17年度事業計画 (1)
159: peru (4)
160: 舟田・康行の乱 (2)


林丹波守の多宝塔

1 名前:源臣 投稿日: 2005/03/31(木) 21:57:05 
美濃の林様ご無沙汰しております。美濃の国、林丹波守が建立したと伝えられる
多宝塔が埼玉県所沢市、西武ドーム球場近くの「狭山山不動寺」の本堂隣に移築され残っておりました。
ご存知でしょうか?この多宝塔は弘治元年(1555)大阪府高槻市梶原の畠山神社に林丹波守が、
建立したものと伝えられています。 


旧姓石谷氏より問い合わせ

1 名前:澤源 投稿日: 2005/03/30(水) 16:38:24 
本日、東京にお住まいの旧姓石谷さんより電話連絡があり、4月16日の土岐一族の集いに
当日参加できるでしょうか、と言ったことでした。
お父様から、石谷氏は土岐一族と聞いておられ、現在調査中とのことでしたので、
是非ともご参加頂きたいとお願い申し上げました。
事務局の源臣さまへ連絡がゆくかと思いますので、その節には何卒ご高配の程お願い申し上げます。 


2 名前:源臣 投稿日: 2005/03/31(木) 08:01:56 
ご出席いただくことになりました。ありがとうございます。
早速ご案内状をお送りいたしました。わずかな動きですが少しずつ広がりを見せております。
特にご熱心な方の参加は何よりの力になります。 


3 名前:澤源 投稿日: 2005/03/31(木) 09:28:13 
RYUKO様のご尽力による、このホームページが今まで土岐一族を調べようとして
なかなか手がつかなかった方々へ、少しづつ広まっている事を大変嬉しく思います。
是非、不肖「澤源」が土岐一族の方々に成り代わり、感謝の言葉を贈らせて頂きます。 


静岡県徳山土岐氏

1 名前:澤源 投稿日: 2005/03/23(水) 09:40:23 
本日、横浜市港北区の早川さん(女性)より、静岡県中川根町の徳山土岐氏の所領地に
別荘があったり、神社を修復維持してみえる旨、美濃源氏フォーラムへ連絡がありました。
ついては、土岐一族の関係者の会に出てみたいとの事で、4月16日に開催予定の
「土岐会総会」をお勧めしておきました。
つきましては、源臣様に連絡先をお届け致しますので、御手配くださいませ。
土岐氏の徳山城については、このHPにて東京の「徳山」さんとリンクしてありますし、
その中には登頂日記も書いて頂いておりますので、ご参照の程お願い致します。 


2 名前:源臣 投稿日: 2005/03/23(水) 16:13:59 
澤源様ご紹介ありがとうございます。本日ご案内状をお送りいたしました。 


3 名前:澤源 投稿日: 2005/03/23(水) 20:44:46 
源臣様、早速御手配ありがとうございました。
尚、早川様にこのような美濃源氏土岐一族を考える美濃源氏フォーラムがあることを教えて下さったのは、
聖心女子大学長さんであったとのことで、ひょっとして公姫様の出身大学でしょうか? 


4 名前:源臣 投稿日: 2005/03/24(木) 11:09:23 
まさに公姫様は聖心女子大です。それよりもなんと新源様とのご縁のきっかけは、
大学長さんのご紹介によると以前「無礼講」の席で聞いたことがあります。
これも澤源様がいつも言われている「お導き」と言う奴でしょうか?
(言う奴・・・乱暴な言葉遣いでした。ごめんなさい。関東の落語によく出てくる江戸の下町言葉です)
何代目の何と言う学長かわかりませんが、同じ人でしたら凄いことですねえ。
美濃源氏フォーラムをご存知の元学長となると、新源・公姫様との距離の近さを感じます。
早速ご連絡しておきます。当日会場での話しがまたまた弾みそうですねえ。 


九州福岡で地震

1 名前:澤源 投稿日: 2005/03/20(日) 12:01:55 
3月20日10時53分九州福岡にてマグニチュード7.0、震度6弱の地震発生とのこと。
昨年秋月地方へ史跡巡りを致しましたが、関係地域への被害が最少に留まることを祈念しています。
その際、千葉県から福岡の実家へ立ち寄り同行頂いたRyuko様、お見舞い申し上げます。 


2 名前:Ryuko 投稿日: 2005/03/20(日) 20:43:43 
Ryukoです。
お見舞いありがとうございました。幸い実家のほうは無事でした。
しかし、今まで地震に縁のなかった土地だけに、地震と認識するのが少々遅れたとのこと。
福岡地方はまだまだ余震が続いているようですが、これ以上被害が拡大しないことをお祈りします。 


3 名前:澤源 投稿日: 2005/03/21(月) 18:57:51 
玄海島の皆様が大きく被災されお見舞い申し上げます。
その他、福岡県中心部においても段々と状況が報じられ、早い復旧をお祈り申し上げます。 


明智光秀桔梗盃

1 名前:澤源 投稿日: 2005/01/29(土) 21:38:08 
本日、札幌市にお住まいの「マヤ」様から明智光秀桔梗盃のご注文を頂きました。
月曜日にはお手元に届きますので、その清楚な姿達の青磁をお楽しみにお待ちくださいませ。
Ryuko様ご指導の『ききょう屋』にて、注文が舞込んでおります。 


2 名前:Ryuko 投稿日: 2005/01/30(日) 23:06:44 
北海道の方からの注文なんてうれしいですね。
私は、毎年お正月は美濃源氏桔梗盃でお祝いしています。
清酒美濃源氏、濁り酒の無礼講など、青磁の盃でついつい盃を重ねてしまいます。 


3 名前:澤源 投稿日: 2005/01/31(月) 22:24:20 
今年の正月2日に放送された『国盗り物語』では、明智光秀について土岐一族であるとか、
名門土岐家や美濃源氏土岐氏などと色々明智光秀に対する紹介がされていました。
そして、いよいよ水色桔梗の旗が棚引き、まさに「源氏が悪漢を打つ」と言った情景に繋がりました。
「源氏が悪漢を打つ」のは、幕府が開かれた後に世上に流布された、例えば源頼光、大江山の酒呑童子退治や
源頼政ヌエ退治などが、源氏の御世の威光を示す為と思われるほどに流行したとのこと。
明智光秀が幕府を開き、清和源氏土岐一族明智氏が桔梗旗を冠として参内・・・・。
そんな想いの、明智光秀桔梗盃で、御酒を、ささ召し上がれなもし。 


4 名前:源臣 投稿日: 2005/02/01(火) 12:48:31 
「銘酒・美濃源氏」を明智光秀桔梗盃でいささか呑み過ぎました、うい!
されど澤源殿、信長殿を酒呑童子やヌエと一緒にするのは如何か、それはあまりではござらぬか?
光秀は禅僧沢彦のアドバイスにより信長殿が井の口を岐阜と改めた頃までは、信長殿をそれは高く評価しておりましたぞ。
本能寺の変は保守本流の光秀が超革新の信長殿を倒したまでのこと。うい!
悪漢を討ったのではござらぬ。うい!「美濃源氏」はどうも旨すぎていけねえ うい!
酔ったついでに一つ質問があります。澤源の命名の由来は沢彦からでしょうか?
昨日、新源殿と勝源殿と無礼講をやりました。まだ少し残っています うい! 


5 名前:正親町 投稿日: 2005/02/02(水) 15:19:17 
わらわは、怒ったぞ。天下布武といいながら、千年からの「日の本」の伝統までも、そちは打ち壊すと言うのか。
安土に城を築き、わらわを呼び寄せるとの噂、勅旨門を通り、そちが構える天主の間の下に呼び寄せられ、
挙句の果てに、誰に断り暦まで手を付けると言うのじゃ。そちは、異国の神を称え、自らゼウスと名乗り、
わらわを何と心得ておるのじゃ!!
えっえっいぃ・・・もう我慢がならぬ、だれか、わらわと「日の本」の安寧のために、
あの悪漢を討ってはくれぬのか!!
おおぅぅぅ、そうじゃ、あやつじゃ、
あやつしかおらぬ、朝廷困窮の折はいつも宮方に組した・・・。
わらわは決めたぞ、綸旨を・・・、綸旨を・・・、したためようぞ。 


6 名前:澤源 投稿日: 2005/02/02(水) 15:39:34 
源臣様、いささか「ささ」が過ぎたようですかな、清酒美濃源氏はついつい飲みすぎる、
曰く婆娑羅にお似合いの「ささ」ですから。
さて、伝承では酒呑童士もヌエも、共に皇室の暗き悩み事を抽象化しているとのことで
その暗雲を取り除く源氏の強気な武者として、源頼光も源頼政も登場したようです。
それから、私の澤源は、実は沢庵和尚をもじったのでありまして、
然し昨年秋に信長の岐阜命名説に関して沢彦(たくげん)について検討したとき、
私の澤源と音読みが一緒だなぁとは思っていました。
さらに、信長の岐阜命名説に関して、異説が出てまいりました。
その助言者は、宗福寺の栢堂ではないのかと、横山住雄氏が発表されました。
尚、岐阜の地名の初見は1450年代ですので、
信長が何故か土岐氏の時代からすでに使用されていた「岐阜」の地名を恒常的にしたわけです。 


7 名前:delete 投稿日: delete 
delete 


8 名前:源臣 投稿日: 2005/02/02(水) 22:09:32 
やはり沢庵和尚でしたか、すると澤源さんは頼行公と一緒ですねえ、頼行公はご存知のように、
沢庵和尚を崇拝しておりました。信長公への岐阜命名のアドバイザーは沢彦では無く、栢堂説があるとは知りませんでした。
鼓腹撃壌の文王、武王にあやかりたいが故に岐阜としたという話しは、確認しておりませんが『信長公記』の中でしたかねえ。
1450年代すでに岐阜と言う名が使われていたとは、真の命名者は誰なのか気になり出しました。 


9 名前:澤源 投稿日: 2005/02/03(木) 10:32:56 
洛陽は、洛水という川の北側の陽当りの良いナダラカな丘陵地を表した地名であるとか。
その洛陽文化が、日本へ中国よりの禅僧から入り、京都が洛陽と呼ばれることとなる。
今でも、洛中・洛北・洛外などと日常的のようですが、洛西とか洛東はたまた洛南などもあるのでしょうか。
さて、応仁の乱で多くの禅僧や公家といった文化人が京都を脱出し、美濃の土岐氏に被護されました。
各務原市鵜沼に持益の承国寺や、その後政房のための瑞龍寺が大いに栄えたことでしょう。
多くの文化人や禅僧が、焼け果てた京都がいつ復興するか分からない状況で、岐蘇川(木曽川)の北側の
ナダラカに続く丘陵地を果して何と呼ぶようになったのか。
それは、岐蘇川(岐水きすい)の北側の陽当りの良い丘陵地が、丁度中国の岐陽と同義語であるからで
ましてや、土岐氏のスポンサーでいるのなら、尚更かもしれません。
尚、木曽川(岐蘇川)の上流部に当たる、材木を集めて流す港があった八百津町錦織付近には
蘇水峡がありますので、岐水や蘇水についても検討するつもりでおります。
ただ、信長は斎藤道三の楽市楽座や戦法を習い、手本としたことが最近の研究で分かっておりますので
道三の評価が上がって来ているようでもあります。
道三に滅ぼされた土岐一族としては、そのあたりを冷静に受け止めて頂きたいと思います。 


10 名前:源臣 投稿日: 2005/02/03(木) 13:54:36 
まず岐水ありき、つぎに岐水に対して岐のおか(阜)ありきですかね。
道三については無礼講の席か何かで恨み言でも言ったのかも知れませんが、全く覚えがありません。
もっとも冗句ではいつも言っておりますが・・・
道三を恨む前に操られた頼芸を無念に思うばかりです。しかし一地方とは言え、
十一代二百余年にわたる長期権力の座はどうしても腐敗してくるものです。
歴史的必然の流に、頼芸も流されていったまででしょう。
弟を担ぎ出した道三の一本勝ちということでしょう。 


11 名前:光憲 投稿日: 2005/03/07(月) 23:45:27 
源臣様
 2月のお約束が延引しており申し訳ございません。
 3月15日(火)に16:30まで六本木アカデミーヒルズで用事があり
ますが、そのあとはフリーとなります。ご都合が合うようでしたらいかがで
しょうか。現在私がこだわりを持って調査していることなどをお話できるか
と思います。 


12 名前:源臣 投稿日: 2005/03/08(火) 10:47:51 
ご連絡ありがとうございます。早速メンバーに連絡を取りまして、
改めて場所時間等のご連絡・確認をさせていただきますので、
どうぞよろしくお願いします。とり急ぎ返信まで。 


13 名前:源臣 投稿日: 2005/03/10(木) 09:53:50 
光憲様
 遅くなりました。新源、公姫、Ryuko、源臣他1名位で、参上したいと思いますが、
3月15日(火)16:45分、場所につきましては明智様からご提案があればそれに準じますが、
地下鉄六本木の駅の上、ラピロス六本木の10階の「岐阜倶楽部」の談話スペースを、
お借りしても構いませんが、いかが致しましょうか?
「土岐一族の集い」欄に私のメールアドレスが載っております。そちらをご利用いただいても構いません。 


14 名前:澤源 投稿日: 2005/03/10(木) 16:53:38 
緊急会談−本能寺の変に迫る−参加出来なくて、残念−−−−ん。 


土岐一族斎院氏について

1 名前:澤源 投稿日: 2005/03/04(金) 10:51:53 
本日、名古屋の奥田さんから電話があり、友人で「斎院」さんが土岐一族とのこと。
系図上、土岐一族のある方から斎院姓となる旨、連絡いただきました。
因みに、電話頂きました奥田さんも、三重のご出身で、ひょっとすると土岐奥田氏でしょうか、
と聞いて見ましたが、実家に帰って調べて頂けるとのこと。
さて、「斎院氏」については従来の土岐一族の姓氏者には出てきませんが、
全国電話帳では全部で28世帯、特筆は山形県が群住地域になります。
中でも、鶴岡市には土岐一族がお宮の神主として続いた系統がありますので、
ここに繋がればなぁというのが現在までの解答です。
「奥田」さん・「斎院」さん、是非掲示板へ御登場くださいませ。 


2 名前:源臣 投稿日: 2005/03/04(金) 17:11:47 
「斎院」さんは何系の土岐かお判りになりますか?
どのような事でも、お判りになっていることのみでもお聞かせいただけたら、
大変ありがたく思います。
奥田さんの調査結果にも期待しております。
斎院さんがもし東京近郊の方でご希望がございましたら、
4/16日の「土岐会の集い」のご案内状を差し上げます。
お申し付けください。 


中山道みたけ館 美濃源氏勉強会の御知らせ

1 名前:澤源 投稿日: 2005/02/24(木) 09:32:03 
来る2月26日土曜日 10時〜12時まで岐阜県可児郡御嵩町にあります「中山道みたけ館」におきまして
美濃源氏土岐一族の勉強会が行なわれます。これは、同館内にあります観光案内人の勉強を続けてみえますグループ(代表広間さん)が
取組んでみえます事業の一環として開催されるもので、美濃源氏フォーラムへの要請により【澤源】が説明に上がる予定です。
御嵩町は、瑞浪市・土岐市と北境に位置し、旧土岐郡との可児郡との接する場所です。
斎藤妙椿の顔戸城(ごうどじょう)の遺構が殆んど残っていますし、
明知村(現在の古屋敷村・淵之上村・瀬田村の一部)があった地域ですから
当然土岐氏一族との関係が大変色濃い訳ですから、以前より美濃源氏フォーラム入会の御嵩町からの会員が多く、有り難く思っています。
観光案内として土岐一族の話しを来訪者に伝えることは、直接反応が直ぐに返ってくるので遣り甲斐があるのでしょうが、
反面その歴史の精通度に大きな差があるでしょうし、又専門家がみえる場合もあるでしょうから、大変に仕事だと思います。
ただ、いずれにしても美濃源氏土岐一族について知って頂ける機会となるお手伝いでありますので、今週末を楽しみにしています。
この掲示板を読んだ方で参加されたい方がありましたら、ご一報をお寄せくださいませ。 


平成17年度事業計画

1 名前:美濃源氏フォーラム運営幹事 投稿日: 2005/02/24(木) 09:09:58 
去る2月20日(日)岐阜市長良川河畔潟Pミック4F会議室において、岐阜事務局運営会議が行なわれました。
そして、来る2月26日(土)には瑞浪市総合文化センターにおいて東濃事務局運営会議が開催される予定です。
つきましては、15周年を迎えるにあたり記念事業として、「流通・物流・交通」に視点を向けた企画しています。
又、大野町歴史講座の内容は、講師の加納宏幸先生より提出頂きましたし、大野講座での土岐氏累代歴史講座の内容も
講師の谷口研語先生とすでに打合せ済みです。その他、昨年からスタートしました、「信長と光秀そして、その時代」についても、
すでに14回シリーズとして計画しましたので、17年度のラインナップが出来ております。

 今後、美濃源氏土岐氏研究講座・美濃人物列伝・美濃源氏文化講座・史跡探訪ツアーなどの企画を運営会議にて検討して参りますので
会員の皆様からのご意見をお願い申し上げます。
つきましては、どんな講師にどんな内容の講座を受けたいか、掲示板で拝聴致したく存じます。 


peru

1 名前:machupicchu 投稿日: 2005/02/14(月) 10:22:26 
finally minogenji boom has hitted in South America. ayano 


2 名前:Ryuko 投稿日: 2005/02/14(月) 10:44:21 
Oh! It’s great. The Minogennji in the world. 


3 名前:美濃平 投稿日: 2005/02/19(土) 14:30:22 
ayano様 美濃からも北米や南米に移民された方いますよ、小生の知り合いでも、
桐山さん・沖さん・西村さんなど明治・大正期に移民されたこと、母から教わっています。
沖さんなど戦後援助物資を送付していただきました。
そんな方の中に美濃源氏関係の方もいらっしゃったのでしょう。
美濃源氏の世界での発展すごいですね。 


4 名前:源臣 投稿日: 2005/02/21(月) 11:38:34 
澤源様がペルーへ飛んだ!!(コンドルは飛んでましたか?)
machupicchuさんに会いにいかれたのでしょうか?
流石澤源様!、おやりになることのスケールが違います。吃驚仰天です。
美濃源氏が世界へ・・と言えば、明智家の末裔の、明智ハナエリカさんはメキシコでしたっけ。
澤源様ペルーのお話を是非お聞かせください。楽しみにしております。 


舟田・康行の乱

1 名前:美濃平 投稿日: 2005/02/13(日) 21:23:25 
舟田の乱・康行の乱について教えてください。 


2 名前:美濃平 投稿日: 2005/02/19(土) 12:13:37 
康行の乱歴史書でわかりました。ご迷惑おかけしてごめんなさい。 


  


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