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211〜220
211: ききょう屋 (2)
212: 平成16年度事業スタート (7)
213: 史跡探訪ツアー「明智光秀を訪ねて」 (2)
214: 戦国武将の末裔 (19)
215: 細川護煕展の御案内 (3)
216: 上総での土岐頼芸 (9)
217: 大野町講座開講と土岐頼遠長森城調査隊 (1)
218: 土岐灯籠 (2)
219: 平成16年度事業計画 (3)
220: 「湯築城と伊予の中世」発刊 (3)


ききょう屋

1 名前:Ryuko 投稿日: 2004/07/07(水) 19:28 
美濃の林様
さっそくクリップマーカーをHゴルフに見に行ってきました。
まだ非売品だそうで、ドライバーを買った人にプレゼントしているとのこと。そのうち売り出す計画だそうです。
売り出すとすれば、価格は3000円くらいと言っていました。
モグラより土岐桔梗のマーカーだったらもっとすてきだろうなと思いました。 


2 名前:美濃の林 投稿日: 2004/07/08(木) 09:34 
Ryuko様、さすが行動が素早く驚きました。マーカーの3000円は少々高すぎると思います。
最近ゴルフ場でも、そのゴルフ場の名前やマークを入れたものを販売しています。
私の場合は大赤字だったゴルフ場が前期は黒字転換したため記念にマ−カーを贈ってくれました。
リゾートなどのゴルフ場では、かっこうのおみやげや記念品になるのではないかと思います。
将来は年一回全国から集まるような「美濃源氏フォーラム」オープントーナメントも企画して頂ければと思います。 


平成16年度事業スタート

1 名前:沢源 投稿日: 2004/05/16(日) 22:25 
5月15日〜16日にかけて今年の事業がスタートしました。初日の東濃瑞浪講座は
加納宏幸「信長の愛した女性A生駒氏の女吉乃」と谷口研語氏「信長と光秀の生きた時代」、
又鈴木秀雄氏「信長の側室妻木と明智光秀」が行なわれましたが、約百名の聴講者で
会場は久し振りの大盛況となりました。特に、千葉県からの関東事務局長Ryukoさんご夫妻も
駆け付けて頂きました。
 そして、翌日岐阜長良講座では横山住雄氏「土岐頼武@枝広館の謎に迫る」と谷口研語氏の
「信長と光秀の生きた時代」が行なわれ約50名の参加者でしたが、風雨の中での開催としては
みなさん良くも御参加いただけたものと事務局一同感謝申し上げる次第です。
二日間通して参加された中には、揖斐川町から小岩さんと糸貫町から吉田さんの2名がありまして
恐らく、23日の揖斐大野会場にも御参加頂けると推察していますので、初回の皆勤賞になる事でしょう。
その揖斐大野講座は、加納宏幸氏「大野町の古代から中世」と谷口研語氏の土岐氏累代講座−土岐氏の時代概説を
予定しておりますので、沢山の御参加をお待ち申し上げます。 

2 名前:Ryuko 投稿日: 2004/05/16(日) 22:39 
15日は数年ぶりに谷口節を聴かせていただきました。相変わらず精力的でわかりやすい語り口大変楽しい講義でした。
長丁場のシリーズなので、いいところで次回のお楽しみという感じで、続きを聴けないのが残念です。
沢源氏の企画力で今年も魅力的な講師と行事が目白押しで、岐阜に住んでいたら私も皆勤賞を狙いたいところです。
講堂いっぱいの熱心な聴講者は瑞浪在住者より他の市や県外からの参加者が多いの驚きました。
大変良い刺激を受けて帰りました。ありがとうございました。 

3 名前:源臣 投稿日: 2004/05/16(日) 22:54 
今年度の事業スタートおめでとうございます。僕も谷口節をまた聞きたく思います。
沢源氏の企画力と「熱い想い」に心酔している一人として、
故郷岐阜へお邪魔したいと強く思っています。
フレーフレー沢源!。 

4 名前:沢源 投稿日: 2004/05/17(月) 09:43 
Ryukoさん、源臣さんお便り有難う御座いました。谷口節は健在のようですが、
実は12年間寝食を共にした愛犬と昨年12月に別離をされた為、大分落ち込んではみえます。
その他、斯く斯く講師陣も初回でも有り、内容の濃いものとなりました。
何とか今年もスタートしましたが、機会があれば是非美濃へ御立寄り下さいませ。 

5 名前:総源 投稿日: 2004/05/20(木) 16:42 
平成16年度事業のスタートお祝い申し上げます。今だ現役の為現地での応援が出来なくて申し訳ありません。
また、谷口先生益々お元気な様子安心しました。谷汲での先生、沢源さん、Ryukoさんとの楽しい夕べが思い出されます。
フォーラムの益々のご発展を祈念しております。
23日の小菅村探検残念ながら参加できません。第2弾を計画していただき沢源さんと共に参加したく思っています。 

6 名前:沢源 投稿日: 2004/05/20(木) 21:45 
総源様深甚なる激励のお言葉、痛み入ります。お陰様で、順調に今年も船出致しましたがいよいよ
この日曜日に揖斐大野講座がスタート致します。何とか50名の参加者を希望しPRしていますが
講師の講演の力のいれようも違いますので後ひと頑張りと言ったところです。
 なお、6月6日にには伯母の問題が片付く予定ですので、
胃腸の調子も「胃酸」を少なくすれば直るそうですので、ご一緒にに健康作りを如何ですか? 

7 名前:宝善院 投稿日: 2004/06/20(日) 21:48 
6月19日、瑞浪での講座に初出席しました。午前11時前には、瑞浪文化センターに到着しました。
すでに、光秀研究会の講座が始まっていました。奥村さんと共に瑞浪駅に行き、高井先生と中川先生を出迎えました
その後、郷土歴史ガイドを目指しておられる奥村さんの案内で、歴代土岐氏の墓、山門だけが消失せず残存している桜堂、
鶴が城壁跡、一日市場館跡、絶壁が頭上にそびえている氏寺を見学しました。
文化センターに戻り、谷口先生の講座を聞きましたが、解り易く軽快な語り口に、思わず聞き入ってしまいました。
高井先生の講座では、建長寺の成り立ち、臨斉禅が武士たちの心を捉えていった理由や過程、
土岐とのつながりなどについてのお話がありました。
講座終了後、近くの料理屋さんで、瑞浪名物の美味しい鳥すき焼きを前に、無礼講で盛り上がりましたが、
場所を、老舗の造り酒屋さん(美濃源氏を販売している)に移し、小室等の「酔いどれコンサート」に合流しました。
6年前から、続いていると言うコンサートでは、子供の頃に親しんだフォークソングのメドレーが続き、
3年寝かした古酒の柔らかで芳醇な味の相乗効果も加わり、なんとも幸せなひと時でした。
帰路の時間も迫っていたため、後ろ髪を惹かれる思いでしたが、コンサート会場を後にし、高井先生と共に、駅に向かいました。
駅では、沢源さんをはじめ、奥村さん、昨年の建長寺フォーラムに参加されたメンバーの方々が、お見送りに来てくださいました。
沢源さん、瑞浪のフォーラムの皆さん、本当にありがとうございました。
今後もまた、時間を作って、瑞浪の講座に参加させていただきます。 


史跡探訪ツアー「明智光秀を訪ねて」

1 名前:木源 投稿日: 2004/06/15(火) 01:13 
平成16年度美濃源氏フォーラム 史跡探訪ツアー「明智光秀を訪ねて」を、6月13日〜14日に実施しました。
6月13日午前8時半名神養老SAに15名の参加者が岐阜、瑞浪から3台の車に分乗して集まり「いざ本能寺」へと出発。
先ず花園の妙心寺の法堂(はっとう)で探幽の八方にらみの雲竜とにらめっこして、
有名な「明智風呂」で斎戒沐浴、いざ本能寺へと繰り出しました。
といっても寺町の今の本能寺ですが、皮肉なことに「信長展」が開かれていました。
ついでに近くの落語の祖・土岐金森氏と言われる「安楽庵策伝」ゆかりの誓願寺へ行くと、
ちょうど若い坊さんがいていつもは鍵がかかっている策伝のお墓にお参りすることが出来た。
パチンコ屋の店先に建っている「池田屋跡」の石塔を見て腹ごしらえをし、今度は本当の「本能寺跡」へとはせ参じた。
油小路蛸薬師の本能寺跡は以前本能寺小学校があったが、なんと京都市の老人ホームのマンションが建築中であり拍子抜けであった。
午後は南禅寺へ行き楼門にのぼり、天下人になったつもりで全員手をかざし、京の都を見下ろした。
いよいよ本日の大事な目的地である小栗栖に向かう。
醍醐寺の南西六地蔵の近くに「明智藪」があるのだが、車より狭い曲がりくねった道を命がちじむ思いで登ったところであった。
30年ほど前に来たことがあるという同行の一人によると、以前は竹やぶが空を覆っていたとのことであるが、
まあ何の変哲も無い藪があるだけでちょっとがっかり。
明るいうちに大津の西教寺に着き宿坊で泊まる。
翌14日、6時半からお勤め(朝作務)。
天台真盛宗総本山西教寺は信長に焼打ちされて後坂本城主明智光秀により再興されたもので、光秀と内室煕子ほかが祀られています。
午前中は、比叡山延暦寺、日吉大社、坂本城址などを見る。昨日今日と梅雨時にも拘らず快晴にめぐまれた。
土岐晴れというのか?あるいは桔梗晴れ
午後は西教寺本堂で「明智光秀追善法要」が営まれ百人近くの人が供養をした。
その後本日のもうひとつのイベントである「平成16年度明智光秀公顕彰会総会」にオブザーバーとして参加、
記念講演会にわれらが美濃源氏フォーラム 井沢康樹運営幹事 が登壇。
平成3年からの美濃源氏フォーラムの活動と土岐一族の中での明智氏について講演。「NHK大河ドラマに光秀を」とよびかけた。
講演はそのほか天田 茂氏の「光秀幻影の聖域」という題での発表があった。
最後に明智光秀顕彰会の副会長である作家の中島みち子氏の挨拶があり、
美濃源氏フォーラムの活動にエールを送るとともに、若きリーダーの井澤康樹(沢源)氏に対して
より一層の活躍を期待するコメントがあった。
以上2日間にわたる史跡探訪の報告を終わります。 


2 名前:Ryuko 投稿日: 2004/06/17(木) 19:09 
木源様
史跡探訪ツアーのご報告ありがとうございました。一泊二日とは思えないくらいいろいろな場所を見学され、
深い内容の旅に驚いています。皆様が本能寺にご見学とほぼ同時刻、関東では土岐氏と織田氏とが面談をしておりました。
また、本日は明智氏と織田氏の対面がテレビ放映されるなど、明智光秀と織田信長を取り巻く不思議な力の働きを感じます。
「NHK大河ドラマに光秀を」の提唱、沢源さんの想いは必ず実現すると思いますので、楽しみに待っています。 


戦国武将の末裔

1 名前:宝善院 投稿日: 2004/05/07(金) 21:36 
4月末のテレ朝に出演された、織田さんにTELしてみました。信雄を藩祖とした柏原藩織田家の出身とのことです。
安土城百百橋口道に建立された総見寺内の信長公廟の維持、
および信長によって大輪の花を咲かせた安土文化の伝承〔火縄銃、鷹匠、美術〕を活動の目的にしているそうです。
今まで調査してきた事柄について話したいことが、山ほどあるそうです。ご一緒に聞きに行ける方を募ります。 

2 名前:沢源 投稿日: 2004/05/07(金) 21:49 
宝善院さま、面白いお話しを投稿頂きましてありがとうございます。今年から、美濃源氏フォーラムでは
「信長と光秀そして、その時代」と題して美濃中世歴史回廊事業を行ないますので、信長公の御子孫に会えるのは
大変楽しみなのですが、来る5月15日から本年度の事業がスタートします関係上、当分上京の予定が立ちません。
つきましては、先日の銚子探検隊のメンバーを中心とされたら如何でしょう。
是非、その成果を掲示板か、Ryukoさんに言ってホームページに掲載して頂けたら幸いです。 

3 名前:Ryuko 投稿日: 2004/05/08(土) 01:04 
織田氏と武田氏の末裔の方がテレ朝のスーパーモーニングで対談されたそうですね。
私は旅行中で見逃してしまいましたので、VTRを手配しました。
宝善院さま、織田さまとの面会は何時頃になりそうですか?
関東の探検隊のメンバーともども同行できればと思っています。 

4 名前:沢源 投稿日: 2004/05/08(土) 09:13 
宝善院さまと言うのは確か、備中岡山池田家の息女ではありませんか? 何かで見たような・・・ 

5 名前:宝善院 投稿日: 2004/05/12(水) 21:49 
Ryukoさん、遅れてすみません。明日、織田氏にTELして見ます。昼休みを利用してTELしていますのでなかなか進みません。
織田氏のご都合を確認いたしましたら、掲示板に書きます。沢源さんのご質問に対する返事ですが、
宝善院は、我が家の先祖の高澤濱子の姉です。因州藩主池田斉稷公の側室で斉訓公の生母でした。 

6 名前:沢源 投稿日: 2004/05/12(水) 22:22 
RyukoさんにKimikoさん、臣源さんに総源さんに新源さん、頼芸孫に邦やん等
関東調査隊は今日も又歴史の荒野を駆け巡るのでありました。ご検討をお祈り致します。
尚、宝善院とは因州池田家の関係とは、と言う事は・・・ひ、ひ、ひ、姫君なのですネ!!。 

7 名前:源臣 投稿日: 2004/05/13(木) 15:47 
宝善院さま、織田様との面会、参加希望します。どうぞよろしく。
もうお一方の武田氏の末裔の方は、ご連絡はつくのでしょうかお教えください。 

8 名前:沢源 投稿日: 2004/05/13(木) 20:59 
噂では、Tokikunisanが現場復帰との事らしいです・・・暇もできたでしょうか? 

9 名前:宝善院 投稿日: 2004/06/02(水) 23:24 
先日、織田さんからお手紙をもらいました。織田信長は、木瓜紋を織田家の家紋として使用したそうです。
織田家と木瓜紋との係わり合いについて話したいと書かれていました。
美濃源氏フォーラムのメンバーと直接会って話したいそうです。
ご都合の良い方がおられれば、会ってみたいと思います。ちなみに、私は毎金曜日の6時半以降、毎日曜日が好都合です。
源臣さん、Ryukoさん、いかがですか。場所は、都内が良いかと思います。
宝善院は、池田家の姫では無く、第9代様の生母に過ぎません。
池田家16代様は仏教美術の専門家でいらっしゃいます。専門的なお話を伺いたいと思っています。 

10 名前:源臣 投稿日: 2004/06/03(木) 11:17 
6月の金曜日はいつでもOKです。日曜日は6日と20日以外なら大丈夫です。
522年前の昨日の未明に信長を討った光秀の縁深き者としては織田様に
どんな顔をしてお会いしたらいいのか?とも思いますが、でも是非お会いしたいのです。
よろしくお願いします。
今年も桔梗が咲きました。水色桔梗とはいきませんが、深い紫の美しい桔梗です。
光秀の誰にもわからない本能寺の変の真意があの色の中に隠されているように思われます。 

11 名前:宝善院 投稿日: 2004/06/06(日) 00:44 
土岐探検隊関東支部の皆さんへ
織田さんの件ですが、6月13日の午後4時頃迄であれば好都合だそうです。
場所的には、東京駅や有楽町駅周辺が、便利かと思います。印象として、学究派ではなく、
行動派のようです。信長首塚祭や長篠慰霊祭などを通して、信長の功績を世に問い続けて
行きたいのかも知れません。
複数名の参加者がおられれば、会ってみたいと思います。具体的な場所や時間を決定して
いただければ幸甚です。 

12 名前:沢源 投稿日: 2004/06/06(日) 21:11 
宝善院様
6月13日は京都の妙心寺・南禅寺・本能寺・小栗栖を廻っていますので
残念ですが欠席です。織田様から源臣様を含めて『土岐探検隊関東支部』の方々に
宜しくお伝えくださいませ。
因みに、14日は延暦寺と日枝大社を見学して「明智光秀顕彰会総会」にて
美濃源氏フォーラムの発表を致します。
テーマは、【全国明智光秀ゆかりの会】の設立を!!です 織田様に・・・ヨロシク 

13 名前:源臣 投稿日: 2004/06/07(月) 11:48 
また沢源様のご病気(比喩)が出てきたようですが、(失礼!)「全国明智光秀ゆかりの会」
とは何とも素晴らしいご発想、設立のあかつきには末席を汚したいと今思っております。 

14 名前:沢源 投稿日: 2004/06/08(火) 09:06 
源臣さま
1987年頃、足利市の発起により『全国足利氏ゆかりの会』が設立され、
60以上の団体が加盟いたしました。
その後、全国の会員からNHKを総攻撃して、大河ドラマに取上げるよう運動が開始されました。
そして、1991年の『太平記』へと成功したようです。
土岐一族も歴史的な名族ではありますが、NHK大河ドラマのストーリとするならば
『美濃源氏土岐明智氏』としての光秀が適任ではないかと思います。
大津市西教寺での明智光秀公顕彰会は今年で16年目を迎えられますので、
是非顕彰会が中心となられて、そのような運動になればと思います。
とりあえず、14日の美濃源氏フォーラムの活動報告は過去の光秀を取上げた事業紹介と
そのエールを参加者に対して送れたらと考えています。 

15 名前:情源 投稿日: 2004/06/09(水) 13:05 
とても壮大なアイデアかと思いますが、NHKの画面に桔梗紋が映し出されたら感激です。
でも、光秀像は少々ダークな印象をぬぐい切れませんね。
勝手な意見ですが、桔梗紋を掲げるのであれば、ガラシャ夫人を中心としたドラマが受けるのでは。
織田家を会社と考えるならば、信長はさだめし、強烈、猛烈なワンマン社長です。
副社長、専務、常務も存在せず、5人の部長(明智光秀、羽柴秀吉、丹羽長秀、柴田勝家、滝川一益)と
秘書室(一族と側近)で成り立っていると考えています。5人の部長は年俸契約で、その年の業績で次年度の契約が成立する。
業績不振者は、解雇される。ワンマン社長信長の下で、ひたすら、東へ、西へ戦いを続ける事を要求されている。
他の守護戦国大名は家臣に領地を与えていますが、織田家は、かなり後年になってから、光秀が始めて領主となります。
秀吉の手紙にも、「中国を平定したら、一年間領地を預かり、そこから得た年貢で九州を平定します」とあるように、
織田家では、家臣を領主として認めていないようです。全ての権力が、信長に集中するような構成になっているように思います。
林通勝、佐久間信盛父子の追放などで、5人の部長たちは、皆、緊迫した境遇に在ったと思います。
その中で、光秀がクーデターを決行したのは、朝廷や足利家とのパイプ、筒井家、細川家への姻戚関係、
京都にいたことが、引き金になったに過ぎないと思っています。 
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細川護煕展の御案内

1 名前:沢源 投稿日: 2004/05/09(日) 11:58 
細川護煕市の陶芸展が5月18日(火)〜5月22日(土)まで日本橋の
「壷中居」にて開催されますので、織田氏との交流会と一緒に企画は如何ですか。
場所は、丸善と高島屋の間の道を西へ行った交差点から南進し右側にあります。
特に、細川氏は初日と最終日には恐らく顔見世があるでしょうし、秘書の方に言って
訪問されると良いのでは。 電話 3271−1835
 尚、開会時間は10:00〜18:00ですので、やはり締めは【無礼講】でしょうかねぇー。 


2 名前:宝善院 投稿日: 2004/05/27(木) 22:25 
5月22日仕事を早めに終わらせることができましたので、細川様の個展を見に行きました。
冷たい雨の日にもかかわらず、たくさんの人が来ていました。
書を初め、品格のある素晴らしい作品ばかりでしたが、ぐい呑みや湯呑みは親しみ易いものでしたので、
唐津湯呑みを購入しました。陶器は使ってこそ生きてきますので、早速毎日、煎茶や冷酒を注いで飲んでいます。
いつものお茶やお酒が数十倍もおいしく感じます。 


3 名前:沢源 投稿日: 2004/05/28(金) 08:43 
宝善院さま、細川護煕氏の作陶品は結構なものでしょうねぇー。
折角ですので、機会があれば箱書きをお願いすると良いのでしょうが。
因みに、楽茶碗は70万ぐらいと聞いていますが、売れ行きが気になります。
尚、織田さんから連絡をもらいましたが、
宝善院さまを始め関係の方にお会いできる事を楽しみにしてみえました。 


上総での土岐頼芸

1 名前:制服 投稿日: 2004/05/19(水) 14:10 
始めまして、千葉県の中世史に興味があり勉強しています。
すでにご存知かと思われますが、以下の資料集に土岐頼芸の出した
古文書が二点収録されています(土岐系図所収文書と村山文書)。
また上総土岐氏の発給文書も収録されており、なにかの参考に
なるかと思います。
『夷隅町史 資料集』(2002年発行) 

2 名前:沢源 投稿日: 2004/05/19(水) 18:31 
総源さんが夷隅町のご出身で、上総土岐氏の研究家ですので、既に目を通して見えるでしょうか?
それにしても、制服様ご来訪ありがとうございます。
つきましては、その他にも土岐氏に関することでコメントが頂けたら幸いです。 

3 名前:源臣 投稿日: 2004/05/19(水) 20:27 
制服様資料集のご案内ありがとうございます。
早速図書館にでも出かけて調べてみます。 

4 名前:総源 投稿日: 2004/05/20(木) 13:11 
制服様の情報は、承知しています。実は「夷隅町史」に資料提供しています。
ご指摘の古文書の一点「義成文書」については、小生は疑問視しています。
解説をしている滝川先生とは旧知の間柄です。先生は、安房国里見氏の研究で第一人者です。
現在、夷隅町史の中世を担当され、近じか本編が出される予定です。
滝川先生の説では、義成は、土岐為頼の子としています。文書には、義成の署名と花押のみ
記されております。「義」は、新田源氏の使用している名であること、花押が歴代の里見氏に類似していること
等から小生は、里見氏と考えています。なお、高野山文書は,もう少し研究が必要と思います。
勿論「夷隅町史資料集」は、刊行時に町史編纂室からいただいておりますので必要な方がおられればコピーを差し上げます。 

5 名前:総源 投稿日: 2004/05/20(木) 13:37 
追伸
制服様は、千葉県の中世史を知りたいとの事ですが、ご存知かもしれませんが、千葉県の
中世を支配していたのは、安房の里見氏、上總の正木氏、武田氏そして土岐氏、下総の千葉氏です。
このうち、安房、上總については、大野太平著「安房里見氏の研究」が参考になると思います。
下総千葉氏に関しては、小生の友人である鈴木佐氏の「房総を駆け巡る武士」(千葉日報社)をお勧めします。
なお、上總土岐氏については、美濃源氏フォーラム「歴史講座ー上總土岐氏の系譜考証」をご笑読ください。
ご意見をお待ちしています。 

6 名前:制服 投稿日: 2004/05/20(木) 21:56 
総源様ヘ
いろいろとご教示していただきありがとうございました。 

7 名前:沢源 投稿日: 2004/05/20(木) 22:01 
総源様、いよいよ健筆なご研究をお喜び申し上げます。
さて、正木氏についてですが、岐阜市における正木氏との関わりに以前から関心を持っていますので
伊予の河野氏が美濃に入国し、稲葉氏・一柳氏・林氏などなどと分派したように、
上総土岐氏と正木氏の関係から、美濃入国の可能性は如何でしょうか? 

8 名前:総源 投稿日: 2004/05/25(火) 16:26 
美濃の正木氏については、どういう流れか興味あるところです。
正木氏の源流は、相州の新井城主三浦氏の直系「時綱」です。お家騒動の相続争いに敗れた
幼少の時綱は、房総の正木郷に逃れ,安房里見氏の庇護を受け正木氏を名乗ります。
その後、上總に進出し、時綱の長子「時茂」が勝浦城に、次子「時忠」が大多喜城主となり、里見方の大将を勤めます。
このうち大多喜城の二代正木大膳亮憲時は、内紛により滅亡し、里見氏第九代「義康」の弟「時尭」が跡を継いでいます。
上總の両正木は、上總土岐氏と共に里見氏を助けますが、永禄7年の国府台後役の頃から土岐氏は,
小田原北条氏に組することとなり、以降、正木・里見氏と敵対関係となり戦いを繰り返します。
北条氏の滅亡と共に土岐氏も終焉となりますが、豊臣・徳川方にあった里見氏は、
上總を没収されたものの安房國を安堵され正木氏も安房に入ります。
慶長19年、家康により突然伯耆の国倉吉に改易となった里見氏はここで事実上終焉となりました。
正木氏も同じ運命を辿りますが、時の勝浦城主正木頼忠の子「お万」が徳川家康の側室として御三家の徳川頼宣、
徳川頼房の生母となっている関係で、
頼忠の長子の系統は,名を三浦にもどし、代々紀州徳川家の家老職となり幕末を迎えます。
このように正木氏の直系は、三浦氏として残りますが、その他の一族は、房総の地に土着したり全国各地に移ったようです.
沢源様ご考察の上總土岐氏の関連で正木氏が美濃に入ったということは、以上のことから考え難いとおもわれます。
里見、正木姓は、全国各地に見えますが,この一族と思われます.
ちなみに、現千葉県知事は、11代里見忠義の弟、忠尭の末裔という考証があります。 

9 名前:沢源 投稿日: 2004/05/25(火) 22:15 
総源様、ご教授ありがとうございました。
岐阜市の正木が頭にありましたものですから、ついつい土岐氏関連の質問でしたが
ご親切に上総地域の歴史展開を含めて解説賜りましてありがとうございました。
つきましては、全国正木姓氏者を調査したところ第1位は大阪府714軒、
第2位は兵庫県で611軒、第3位広島県の450軒、第4位は東京都で412軒
第5位が埼玉県の405軒で、第6位以後は愛知県の387軒・徳島県314軒・
神奈川県で307軒、山口県の263軒、北海道で225軒、京都府217軒
福岡県で195軒、千葉県で191軒、高知県は189軒、和歌山県で156軒、
静岡県で154軒、秋田県151軒で、茨城県の137軒、三重県で116軒、
熊本県で102軒の以上が百軒以上で、総軒数は6960軒となっています。
又、地域別では北海道東北地方は702軒、関東東京地区が1521軒、
中部地方が994軒、近畿地方が1847軒で中国四国地方が1480軒、
九州沖縄地方が416軒です。 


大野町講座開講と土岐頼遠長森城調査隊

1 名前:沢源 投稿日: 2004/05/25(火) 10:38 
5月23日(日)午前7時瑞浪市役所へ谷口先生以下4名にて出発し、
瑞浪インターから羽島インターにて下線、揖斐川沿いに北上して
大野町総合町民センターに着いたのが8時20分でした。
岐阜から運営委員の桑原氏と奥村氏、そして今回始めて参加で
運営委員を請けて頂いた揖斐川町の小岩さんの合計7名にて会場準備でした。
9時から受付が始まりましたが、なかなか人が集まってきませんので、
30名を切ってしまうのではと思われたのですが
結局45名の参加にて、揖斐大野講座が開幕できましたので、やっと一安心です。
講座は、9時30分から10時45分まで地元大野町出身の加納宏幸先生の大野町歴史講座を
そして11時から12時15分まで谷口研語先生の土岐氏累代歴史講座を開催しました。
加納先生は、地元での開催ということで少し緊張気味でのスタートのようでしたが
流石に始まってみると岐阜観光アドバスザーを現職で務めて見える通り流暢な講演で
時折会場の笑い声を起きるようで楽しんで聞いて頂く事ができました。
又、谷口先生は得意の土岐氏累代講座でして、今回で通算4回目ともなりますので
最初からがんがん飛ばされ、通路の外にまで聞こえるような迫力でした。
いずれも、優良な歴史講座で日曜日の午前中にも関わらず集まられた方々の意欲は大変なもので
今後2年間でどのような生涯学習をされるのか、主催者としてたいへん関心が高まっております。
尚、運営委員のボランテイァには小岩さんの他、大滝さんと、桂さんの何れも女性がご了解賜り
その後、本日岐阜の橋さんも御申込みいただきましたので、都合4名が決定いたしました。
その他、今回の受講が出来ない方が多々あったようですので、次回以降は50名を越えることでしょう。
運営委員の方々、又受講されました方々、そしてお世話になります大野町教育委員会の武藤様ほか
一年間、いや二年間宜しくお願い申し上げます。 


土岐灯籠

1 名前:Ryuko 投稿日: 2004/05/08(土) 14:42 
GWに東北を旅した折、上山の「土岐灯籠」を見てきました。
残念ながら全部の灯籠を見ることはできませんでしたが、月岡城と春雨庵に建てられた灯籠の写真を掲載しましたのでご覧下さい。
月岡城の灯籠は沢庵禅師の築庭に収まり、春雨庵の灯籠は以前からそこにあったかのように周囲の環境になじんでいました。
夕暮れ時の訪問にも拘わらず親切に応対してくださった春雨庵の庄司様に感謝申し上げます。
また、土岐桜とともに、灯籠も「土岐灯籠」として命名され、新しい標識の整備など、
上山の皆様や観光客に親しんでいただけるよう配慮された灯籠を見て、上山の関係者の皆様の温かい心を感じて帰りました。
上山の街に点在する「ふれあい足湯」は、どこも楽しい語らいがあり、私たちもゆっくり旅の疲れを癒しました。
新緑の雄大な蔵王連山、上山の旅をお勧めします。 


2 名前:沢源 投稿日: 2004/05/09(日) 11:08 
上山観光協会の常務理事で事務局長は大変なやり手でして、市役所部長出身ですので
土岐一族のまちづくりに現在辣腕を奮っておみえになり、敬服するばかりです。 


平成16年度事業計画

1 名前:沢源 投稿日: 2004/04/26(月) 13:55 
平成16年度美濃源氏フォーラム年間計画が決定しましたので広報すべく
関東事務局のRyukoさんより、掲載して頂きましたので、御覧下さいませ。
東濃瑞浪講座は5月15日午後から、岐阜長良講座は5月16日午後から、
そして今年から始まるする揖斐大野講座は5月23日午前から、それぞれスタートです。
全ての会場が年会費5000円で聴講で来ますが、5月15日12時30分から
平成16年度総会も開催しますので、ここから是非ご参加くださいませ。 


2 名前:Ryuko 投稿日: 2004/04/28(水) 07:32 
今年度より新開講の明智光秀部会−「谷口研語ゼミナール」について掲載しました。
只今、部会員を募集中です。ゼミナールは美濃源氏フォーラム中世歴史回廊開催日の
10時30分〜12時00分、年会費3000円で行われます。
お問合せは、明智光秀部会のページに掲載しています。
多くの方々のご参加をお待ちしています。 


3 名前:沢源 投稿日: 2004/05/01(土) 17:54 
笠原の奥村さん、早速入会ありがとうございます。
ただ、フォーラムの年会費と一緒にお振込みいただきましたが別会計ですので
明智光秀研究部会−谷口研語ゼミナールに申込み頂けます方は
その旨を部会長代行桑原さん(0572-68-4360)か、フォーラム事務局へご連絡下さいませ。
尚、会費については会計が別に管理しますので、宜しくお願い申し上げます。 


「湯築城と伊予の中世」発刊

1 名前:美濃の林 投稿日: 2004/04/24(土) 14:02 
「道後湯築城跡を守る県民の会」と「文化財フォ-ラム愛媛」が、このたび「湯築城と伊予の中世」という、
すばらしい研究成果をまとめた本を発刊されます。ご興味のある方は「美濃源氏フォ-ラム」にリンクの
「道後湯築城」をクリックの上、今城様宛て注文して下さい。ご参考まで。 


2 名前:今城 投稿日: 2004/04/28(水) 21:43 
 美濃の林様、「湯築城と伊予の中世」をご紹介頂きまして有難うございます。折角の機会ですので、
この本の内容と、私どもの会を紹介させて頂きます。
 私どもの会は、貴重な遺跡である湯築城後の破壊を食い止めるべく、
愛媛大学の先生方の呼びかけに応じて立ち上がった市民の集まりです。
従いまして最初「道後湯築城跡を守る県民の会」と称しておりました。
十余年の運動の末、湯築城跡の保存が決まり、国史跡の指定を受けることが出来ました。
その間、県内外の大勢の方のご支援を賜り、深く感謝致しております。
保存が決まったからには「守る」段階は過ぎました。
そこで、今後は「活かす」活動を展開すべく、名称を「文化財フォーラム愛媛」と変更しました。
今は湯築城跡を始め、県内各地に残る多くの文化財を地域の寶、国民の共有財産とする活動を始めております。
 私どもの運動と時を同じくして中世の研究が本格化し、伊予においても湯築城や河野氏についても新たな研究が進展し、
中世の理解が随分と変わって参りました。それを一般市民にも紹介すべく、
一昨年歴史講座を主催し、更にその内容を纏めて本としたのが、「湯築城と伊予の中世」です。
 私ども文化財フォーラム愛媛は学術研究を目指す団体ではありません。
美濃の林様が書いていらっしゃる「すばらしい研究成果」は私どもの会の活動成果ではなく、
偏に多くの研究者の努力の結晶です。私どもが果たした役割は、歴史講座を企画し、主催し、
その内容を本として出版するよう推進し、論文でしか読むことが出来なかった近年の研究成果を、
一般市民の目に触れるよう運んだことです。
 以上のような次第で、この本は文化財フォーラム愛媛の出版ではありませんが、
前代表2人が企画・編集を行ない、会としても協力したものですので、
会員にとりましては会の出版物に等しい感慨を抱いており、
今後展開して行く「守った」文化財を「活かす」活動にも活用して行く所存です。
 何卒この本と私どもの会にご理解を賜りたく、宜しくお願い致します。 


3 名前:沢源 投稿日: 2004/04/29(木) 10:10 
湯築城を守り継ぐために立ち上がられた愛媛県民有志の方々により、「文化財フォーラム愛媛」が改称設立され
順調な事業展開を計られております事、心より敬意を表する次第です。
又、先の総会においても「学校教育と地域史の互換性」をテーマとしてシンポジウムを開催された由、
郷土史を地域学としてとらえ、且つ「地方分権∩地域主権のまちづくり活動」を進める上でも、
地域固有の歴史と文化を語らずして『古里愛』を育むこともかなわず、益々のご発展を祈念します。
ご来場ありがとうございました。 今城様他「文化財フォーラム愛媛」ご一同様 




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