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221〜230
221: 明智光秀に迫る (4)
222: 坊っちゃんは土岐一族である (8)
223: 連歌などなど、土岐氏の文化 (4)
224: 文化財フォ-ラム愛媛 (11)
225: お彼岸 (5)
226: HPアドレスの変更について (1)
227: 応仁・文明の乱、戦後処理終了直後の美濃 (1)
228: 『美濃源氏歴史講座in岐阜大野町』内定 (1)
229: 第2回美濃源氏フォーラムin岐阜大野町 (1)
230: 池田町ふるさとまつり (1)


明智光秀に迫る

1 名前:Ryuko 投稿日: 2004/04/22(木) 06:53 
昨夜のNHK「その時歴史が動いた」は『信長暗殺を命じた男』でした。
誰が黒幕か、最後まで真相を明かさない構成にどきどきしながら見ていました。
「明智光秀」はどういう人物だったのか、ますます興味が出てきました。
5月からの美濃中世歴史回廊では谷口研語講師による
「信長と光秀そして、その時代」として7回シリーズの講座が始まります。明智光秀の真実に迫りたいですね。 


2 名前:美濃の林 投稿日: 2004/04/22(木) 10:05 
「土岐絶えなば足利絶ゆ」と言われたほど土岐家は足利将軍家に近侍する重要な存在
であったことからも妥当な推論と思われます。また澤源師のご尽力で、
昨日出演されていた三重大学教授藤田達生先生の講演
「足利義昭と本能寺の変」が9月18日(土)に「美濃源氏フォ-ラム」の東濃瑞浪講座で開催予定です。
Ryuko様、PRのほどよろしくお願い致します。澤源師は現在、大分です。
昨日は三ヶ月ぶりのゴルフだったそうですがグロス85ネット75で三位とのこと。
驚天動地の事件です。天才だ。今日は、大分県立先哲史料館訪問予定で稲葉氏について私から調査のお願いをしております。 


3 名前:沢源 投稿日: 2004/04/22(木) 23:16 
美濃の林様
本日の訪問先は、福沢諭吉記念館と大分県歴史博物館(宇佐風土記の丘)と宇佐土岐家の末裔
並びに大分空港近くの国東郡武蔵町の多治見さんでした。
先哲資料館と大分県歴史博物館と勘違いしていましたので、残念ながら先哲資料館へは・・・。 


4 名前:美濃の林 投稿日: 2004/04/23(金) 11:10 
澤源様へ。勘違いではなく確信犯と思いますが。それより大分にも土岐さん多治見さんが見えるとはおもしろいですね。
よく調べて訪問されたと思います。こまめに足を使った調査をゴルフがてらされ脱帽です。お疲れ様でした。 


坊っちゃんは土岐一族である

1 名前:Ryuko 投稿日: 2004/04/20(火) 05:59 
源臣さんから「漱石の坊っちゃんは土岐一族である」という、
大胆な発想かつ緻密な考証の楽しい一文が寄せられました。土岐一族研究ノートを新設して
掲載しましたので、是非ご一読ください。漱石が「よく気付いたな」と雑司が谷の墓地から
声が聞こえてきそうです。
研究ノートに皆様方の日ごろに研究成果をお寄せください。 


2 名前:沢源 投稿日: 2004/04/20(火) 11:04 
やった、臣道さん、福沢諭吉の奥さんが土岐一族との話は知っていましたが
なんと、夏目漱石まで関係者とは、RYUKO様もご苦労様でした。 


3 名前:美濃の林 投稿日: 2004/04/20(火) 17:34 
養源院(岐阜県池田町)は美濃稲葉氏祖稲葉塩塵の墓所であり坊ちゃんの実家の墓所養源寺は稲葉家ゆかりの寺です。
東京でも土岐氏と稲葉氏は縁がありますね。春日局も当然関係してきます。
福沢諭吉の奥さんが土岐一族とは知りませんでした。
塾高時代、福沢先生の命日に目黒の墓にお参りに行ったものです。
40年前のはるか昔、原宿族というのがいましたね。あの日に戻りたい。 


4 名前:美濃の林 投稿日: 2004/04/20(火) 18:02 
源臣様へ。「仙石秀久の経歴と出自」は古代氏族系譜集成の著者宝賀寿男氏のHP
「古樹紀之房間」の掲示板に詳しく紹介されています。ご参考まで。 


5 名前:源臣 投稿日: 2004/04/20(火) 22:45 
美濃の林様、貴重な情報をありがとうございます。早速開いてみます。 


6 名前:Ryuko 投稿日: 2004/04/22(木) 06:37 
文化財フォーラムの今城様より、以下のメールを戴きました。

『坊ちゃんは土岐氏は論旨が非常に明快で、面白かったです。
土岐氏の子孫が明治にまた伊予に赴任。いいですね。
ただ、あの小説には松山の名一回も出て来ません。松山を舞台に使ったことは間違いありませんが、あの小説は東大
教授陣を批判したものだそうです。これは漱石のご家族も研究者も述べていますので、間違いないでしょう。という
ことは「土岐氏東大を叱る」ですね』

4月17日の土岐会で土岐尚子さんが林芙美子の「放浪記」にも土岐氏が出てくると言われていましたので、
原稿をお願いしようと思っています。 


7 名前:遊行笑人 投稿日: 2004/04/22(木) 10:47 
明智光秀殿家老職とお聞きしている斎藤氏のごご出身土佐の国の信長殿と言っても差し支えなき
長宗我部元親殿の奥方様一時お福様も避難された由このご縁正しく美濃とのご関係かと?
ryuko様の伊予への投稿に添い一言お礼方々美濃の国を訪問させて頂きました 


8 名前:沢源 投稿日: 2004/04/22(木) 23:11 
4月22日午前9時30分中津市観光協会(駅構内)にて無料の自伝車にて福沢諭吉記念館と
小幡記念中津市図書館と織部灯篭などを見学してきました。
福沢諭吉の出身は信州とのことで、3代後裔が中津藩に奉職したとのことですが、
その前は奥平藩士とのこと。諭吉の妻は土岐錦で、結構奥さんを泣かせたとのことでした。
土岐錦の父親がやはりや奥平藩士で土岐太郎八で、さらに遡るべく小幡記念中津図書館にて
中津藩分限録をみると、2名の土岐氏がでていました。
可能性は、菅沼氏か田代氏の土岐ではないかと・・・。又奥平氏は、三河を拠点としていますので、
はたまた中川根の駿河の土岐氏もあります。 


連歌などなど、土岐氏の文化

1 名前:沢源 投稿日: 2004/04/06(火) 00:31 
Ryukoさん、桜堂薬師の連歌の記事掲載ありがとうございました。
連歌の紹介では、一番短い連歌の見本として、この句が専門書に出て参ります。
折角のホームページ更新ですので、是非とも土岐氏の文化面などについても
情報をお寄せくださいませ。 


2 名前:Ryuko 投稿日: 2004/04/06(火) 08:22 
桜堂薬師部会の皆様へ
桜の季節ということで、桜堂の連歌を掲載しました。
写真はイメージで桜堂のものではありません。ご了承ください。
桜堂には今でも糸桜(しだれ桜)があるのでしょうか?
もしあったら写真を送っていただけませんか?本物と差し替えたいと思います。
この句は美濃源氏フォーラムの資料か、関係する本で知り、大変印象的だったので書きとめておいたのもです。
HP掲載にあたり、前後のことが詳しく知りたいと思い原典を探したのですが見つかりません。
どの資料、または本に載っているかわかったら教えていただけませんか?
『吹き結(すさ)ぶ風にみだるる糸桜  ときにきたれどむすびめもなし』
物悲しい失恋の歌のようで心に沁みてきます。この句の前後はどんな歌だったのでしょう?
真新しい桜堂に集う人たちの行き交いを想像させる美しい歌だと思います。 


3 名前:総源 投稿日: 2004/04/15(木) 11:08 
土岐氏の文化 つくまい(津久舞・撞舞・鞦韆・つうまい)について
上總土岐氏の城下、万木では、昔より「つうまい」という行事がありました。
長さ15メートルほどの丸柱を立て舞人がこれに登り笛太鼓にあわせ舞うというもので土岐氏の戦勝の祝いと考えられています。

万木では、大正末期まで行なわれていましたが、これを復活させる動きがあります。
現在は、千葉県野田市及び茨城県龍ケ崎市で無形文化財ととして毎年行なわれています。
同様な行事が行なわれているところがありましたらご教示ください。 


4 名前:沢源 投稿日: 2004/04/18(日) 09:37 
美濃では、つくまい(津久舞・撞舞など)を行なっていることは聞きません。鎌倉期より始まった
民俗芸能として、谷汲踊りがありますが、岐阜県無形文化財を調べてから、再度書き込みますので
少々お待ちくださいませ。 


文化財フォ-ラム愛媛

1 名前:美濃の林 投稿日: 2004/04/01(木) 16:38 
「文化財フォ-ラム愛媛」のHPを見て下さい。伊予の土岐氏を探る上でも参考になると思います。

   http://www.shikoku.ne.jp/yuduki/ 

2 名前:遊行笑人 投稿日: 2004/04/01(木) 19:56 
林さん、はじめて投稿させていtだきました。今後とも美濃、伊予の源氏との由縁
細川氏土岐氏稲葉氏斎藤氏長宗我部氏水軍河野氏との関係のお話を楽しみにして居ります
早速稲葉一鉄さんの記事見せて頂きました。今後ともよろしくお願いします。 

3 名前:Ryuko 投稿日: 2004/04/01(木) 21:17 
美濃の林様、「文化財フォーラム愛媛」をご紹介いただきまして、ありがとうございました。
「文化財フォーラム愛媛」のHPとリンクさせていただきました。
遊行笑人様、HPのセンスのよさ、内容の深さに感銘です。
そして、大好きな松山城と松山の街、道後温泉の温かさを思い出させてくれました。
これからも、よろしくお願い致します。 

4 名前:美濃の林 投稿日: 2004/04/02(金) 09:22 
Ryukoさんが松山を大好きだったとは知りませんでした。
「文化財フォ-ラム愛媛」とのリンクありがとうございます。
HP上には遊行上人さん、また今城殿と、すばらしく歴史に造詣の深い方々がおられます。
今年はゴルフと歴史探訪に四国へ行きたいと考えています。土岐氏を縁に中世以来の四国と美濃の交流を益々深めたいと思います。 

5 名前:今城 投稿日: 2004/04/02(金) 14:33 
文化財フォーラム愛媛のWebサイトを管理しております今城です。
昨日Ryukoさまからメールを頂戴し、貴サイトと相互リンクの運びとなりました。
これも美濃の林様のご紹介の賜物と、厚く御礼申し上げます。
美濃と伊豫は意外に縁が深く、今後両者の繋がりを探って参りたく、そのためにも貴フォーラムと交流を深めて参りたく存じます。
美濃の林様はゴルフで当地にお出でになることがお有りと伺っておりますし、Ryuko様も松山がお好きだそうで、嬉しく思います。
当地にお出での節は是非ご連絡下さい。お待ちしております。
今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。 

6 名前:美濃の林 投稿日: 2004/04/02(金) 15:54 
今城様のご好意御礼申しあげます。沢源さん、Ryukoさんも皆でそろって伊予に行きましょうか?
三代守護土岐頼康殿も伊予に数年居られたようですし。今城様、四国歴史探訪の折にはよろしくお願い申しあげます。 

7 名前:Ryuko 投稿日: 2004/04/02(金) 21:48 
四国探訪、是非ご一緒させてください。
愛媛県立美術館の素晴らしさは松山の文化の高さの象徴だと思いました。
もう一度、ゆったりとした階段をのぼったあの二階から松山城を見上げたいです。
萬翠荘と愚陀佛庵、路面電車、漱石と子規の町、松山に住みたいと思いました。
そういえば、臣源さんが「ぼっちゃんは土岐一族?説」を唱えていましたが、
その後、研究は進んでいますか? 

8 名前:遊行笑人 投稿日: 2004/04/04(日) 11:17 
ryuko様此の度は林さんと湯築城の御縁で感動的な出会いを持ち、感謝申し上げます
ご案内頂きました、HPのサイトを訪問させて頂き、我々河野通種の子孫江戸時代の終盤に
二代において出家致し、先祖の供養、人の世の生への摩可不思議の道に七男の者とその
の二代、出家いたし、1818年土佐の国より十二歳で山内公の菩提寺要法寺30世日晴上人に付いて
得度し、京都六条堀川通本圀寺の求法庠檀林に学び、洛東頂妙寺勝心院日亮尊者の教えを賜り、
間もなく北総(千葉県)中村檀林、現在の日本寺転入
天保十五年三八歳迄、勉学し、本圀寺に帰り、その後北総中村檀林で修行し、仏門に身を置いた人物を居り、
先祖の時代より、戦の世にて命を落とした人びとを供養するべくその任に担った様です。 

9 名前:美濃の林 投稿日: 2004/04/05(月) 17:17 
「文化財フォ-ラム愛媛」が、このたび和島誠一賞を受賞されました。
おめでとうございます。詳しくはHPをご覧ください。「美濃源氏フォ-ラム」も励みになりますね。 

10 名前:Ryuko 投稿日: 2004/04/05(月) 23:01 
「文化財フォーラム愛媛」にリンクしたとたんに、済美高校の選抜優勝、
「文化財フォーラム愛媛の」和島誠一賞受賞と、松山からの朗報がつづいています。
もしかしたら、これもお導きでしょうか?「美濃源氏フォーラム」もパワーをいただけそうですね。 

11 名前:沢源 投稿日: 2004/04/06(火) 00:24 
本日、「文化財フォーラム愛媛」さんへのホームページリンクの感状を差し上げた所です。
さて、伊予の土岐氏の拠点が、現在の美川村を中心としたあたりでして、 土居氏との
関わりがどれぐらいのものだった分かりませんが、丁度土岐氏史跡探訪ツアーで訪問した折
お世話頂いた方が、国道際で食料品店の土居さん夫婦でしたので、これも奇縁と思い返しています。
尚、詳しくはホームページの伊予史跡巡りを御覧下さいませ。 


お彼岸

1 名前:沢源 投稿日: 2004/03/21(日) 08:45 
土岐一族の検証とは、家臣との繋がり方もあるでしょうし、土岐氏に負けた一族からの
視野もあるでしょう。ただ、やみ雲に偉かったばかりの話ではないでしょうから、
歴史を解明する事は色々なものが噴出す事にもなりかねません。
然し、過去の先人達の想いに気づいてあげれたら、何よりの供養かもしれません。
お彼岸に向けて。 


2 名前:源臣 投稿日: 2004/03/22(月) 20:48 
お彼岸は先祖に思いを致すに一番相応しい日々です。善なるご先祖も悪なるご先祖も、
どちらも大切な先祖です。土岐一族に限らず、長い歴史の中にはいろいろなことが
起こります。いろいろな人がいます。
それはどの家も同じです。ただたまたま土岐一族は、過去の文献に残されている量が
少しだけ多く検証が可能な一族というだけです。
この先どんなことが明らかになろうとも、真正面から誠実に受け止めたいと思っています。
先人たちがどんな思いでその時代をどう生きてきたのか、
それを知りたいと思うのみです。墓参の好きな僕には、お彼岸はとても大切な
一週間です。 


3 名前:沢源 投稿日: 2004/03/22(月) 22:20 
1岐阜県本巣市本巣町文殊にある、善永寺の住職は土岐頼芸のご子孫です。
このお寺は、頼芸に仕えた川村氏の菩提寺でもあるのですが、その川村氏の子孫に
桂三枝さんという落語家がみえます。勿論あの有名な桂三枝さんです。
現在、岐阜県瑞浪市では土岐一族のバサラ精神を活かすべく、桂三枝プロデュースの
よさこいソーランのおかみさんバサラ踊りを普及しています。
又、岐阜市においても落語興しが行なわれ、落語の祖安楽案策伝が岐阜市のお寺にいて、
その後大阪にて落とし噺を始めた事から、桂三枝プロデュースによる『全国学生落語選手権』が
行なわれましたが、この安楽案策伝は飛騨高山を治めた金森定近の弟で、金森氏も土岐氏です。
このように、正に桂三枝さんは先祖が土岐氏に仕えたと同じように、先祖供養とも思えるような
岐阜県の土岐氏興しに協力しているのですが、恐ろしいのは三枝さんは、これらの理屈を全てご存知
ということですので、ただただ脱帽するばかりです。
今年も、三枝さんは先祖の地本巣町の善永寺をお参りされたのでしょうか。 


4 名前:源臣 投稿日: 2004/03/26(金) 20:10 
善永寺のご住職と勝信氏の関係は?おわかりになりますか?
どの辺りで別れたのでしょうか?
勝信氏はこの事をご存知なんでしょうか?
早速連絡をとってみます。
これはすごいニュースです。流石沢源殿。 


5 名前:沢源 投稿日: 2004/03/26(金) 22:05 
この善永寺さんと桂三枝さんの話は、名古屋テレビ放送(テレビ朝日放送系列)にて
1時間の特別番組としてオンエアされました。然し、一般的にはまだまだ知られていませんので
さらなる周知を願っています。
 そこで、まず谷口研語氏の「美濃源氏土岐一族そして土岐頼芸」の講演と、
土岐頼芸子孫の深沢亮子さんの「ピアノコンサート」、そして桂三枝さんの「土岐頼芸の国盗り物語」
新作落語など、いわゆるコラボレーションにてイベントがしてみたいですネ。 


HPアドレスの変更について

1 名前:HP管理者 投稿日: 2004/03/04(木) 02:30 
美濃源氏フォーラムHPアドレスを変更しましたので、お気に入りに登録されている
方は、変更をお願い致します。現在、Yahoo!の検索に変更の通知を出しており
ますので、変更になり次第古いHPを閉じさせていただきます。当分は新旧どちらの
アドレスからも入ることができます。

新しい美濃源氏フォーラムHPアドレス:

   http://www.geocities.jp/minogenji_tokiuji/

不具合なページがありましたら、ご連絡ください。
なお、新しいHPスペースは今までより2.5倍の容量がありますので、皆様からの
写真や掲載記事をお待ちしています。 


応仁・文明の乱、戦後処理終了直後の美濃

1 名前:鹿 投稿日: 2004/03/02(火) 07:16 
船田の乱(1495)から福光城移転(1509)までの美濃国内の流れがよくわかりません。
木曾・小笠原と敢えて対峙を避けただけならまだしも、何故小規模分裂した様な形になったのか?
最も、それが西村勘九郎の眼に留まって付け入られたわけですが。
土岐政房自身が幕府との関係構築と領内統治のバランスを間違えたとか・・・?
いずれにしても、美濃の安定を悪くした原因がわかりません。
詳しい方がおられたら教えて下さい。 


『美濃源氏歴史講座in岐阜大野町』内定

1 名前:沢源 投稿日: 2004/02/25(水) 22:39 
谷口研語先生によります『土岐氏歴史講座全14回シリーズ』と加納宏幸先生
によります『揖斐郡郷土の歴史シリーズ全14回』が内定しました。
大野町町民ホールの大会議室(定員100名)において5月23日(日)の
10時から12時に開催されます。
初日は、第4日曜日ですが6月から7月・9月10月・11月と第3日曜日で
最終の12月は12日の第2日曜日と、少し変則になっていますが、今から
全て予定にいれておいて下さい。
 尚、会費は年間5千円にて、その他にも岐阜長良川講座(1日2講座)や
東濃瑞浪講座(1日3講座)にも参加できますので、大変お得となっています。
お問合せは事務局迄メールか、電話0572-68-3142までお願い申し上げます。 


第2回美濃源氏フォーラムin岐阜大野町

1 名前:沢源 投稿日: 2004/02/18(水) 20:03 
大野町で昨年土岐頼芸シンポジウムを行なったのですが、何とか第2回が
本年開催したいですね。
谷口研語先生によります、土岐氏の発生から斎藤道三に美濃を追われるまでの
14回講座が可能ですし、揖斐郡より興った揖斐氏や衣斐氏深坂氏や相羽氏
又近郊の池田氏や六ノ井氏など、関係者が情報を持ち合うことで新発見が期待されます
揖斐郡の合併は、色々難しい面もありそうですが、元々土岐一族が血の団結を図り
結束したのにも関わらず、兄弟争いの果てにバラバラになってしまった江戸幕府の政策と
そろそろオサラバする、そういう意味でも地域の歴史と風土を共通項としてまちづくりが行なえれば 


池田町ふるさとまつり

1 名前:沢源 投稿日: 2004/02/18(水) 19:55 
揖斐郡池田町で10月3日開催予定のふるさとまつりで、大垣市との合併前に
ふるさと歴史を検証する事業を開催したいとの事が、万博関係の事業を進めている
神谷さんと歌手の城ゆきさんから助言がありました。
室町幕府第5代美濃守護土岐頼忠と6代頼益に関わる地域でありますので
又、その菩提寺の禅蔵寺は鎌倉の建長寺より禅を広めた蘭渓道隆の孫弟子である、
平心覚源禅師開基であり、正に中世の人材育成や心の道場として隆盛した地域ですので
丁度合併する相手が戸田氏が治めた大垣市ですので、
人材育成をテーマとした歴史イベントが出来たらなぁと考えましたので
早速、提案書を書かなければ・・・!! 




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