美濃源氏フォーラムの歩み

B 創造、土岐源氏の里 H15年11月8日

  報告

「伝説の土岐高屋敷を探る」 

表面採取  場所:瑞浪市土岐町高屋敷付近  平成15年11月8日(土)実施 
                  
平成15年11月8日土曜日、早朝7時45分には既に2名の年配の方が集まっていた。
これから、土岐氏鶴ケ城下の伝高屋館の表面採取を行うにあたって、意気軒昂である。

8時の集合時には、瑞浪市教育委員会文化課より小栗正敏課長補佐と砂田学芸委員が参加。
又、当日15時30分からの土岐氏研究講座の講師をして頂く、三宅唯美先生も勇躍ご参加。

三宅先生は、恵那市役所で『正家廃寺』の発掘担当を以前された方で、
『戦国時代の土岐鶴ケ城』の講演前に、風邪をおしての参加であった。その他、当然地元の方から、
記事を見て参加された方、総勢20名にて土岐町鶴城高屋における表面採取が始まった。

瑞浪市の、一日市場館の南側が最も遺物が確認できる所であるが、
ここ高屋地区も注目すべき所と、既に3度程下見をしていたので、
近隣地区の田畑所有者の同意も多々あり、

宝物が出てくるといいネェー等と非常に好意的であった。

特に面白いのは、上高屋と下高屋と道を挟んで区分けされており、
正に位の上下を表すようで、とても興味が持たれる。

今回は上高屋で二面と下高屋で一面を採取したのであるが、とにかく20名が採取するので、
40分程で3個の小袋に約200点ほどが集まり、上高屋のA面のみ直ぐに洗いに掛け、
砂田学芸員の解説を最後にして頂き凡そ1時間の事業を終了した。

結果、平安期の須恵器から平安末期から鎌倉時代の山茶碗、
そして14世紀から15世紀にかけての山茶碗を解説、
中でも青磁が1片だけ確認されたので全員が拍手喝采であったし、
須恵器まで拾えるとは・・・。

当時、青磁を使う事が出来たのは、
朝鮮からの輸入品であるだけにかなりの上級クラスに限られる為、
正に土岐氏の時代を彷彿させる発見であった。

今回の事業は、『創造、土岐源氏の里』というものであり、
一日市場館・鶴ケ城・土岐頼兼公自仭洞・桜堂薬師・土岐頼貞他累代供養塔・土岐猿子塚等、
正に美濃源氏土岐一族の歴史遺跡の地であり、
今後この地域を『土岐源氏の里』として、
イメージ化と共に歴史体験の基地となる事を目指してゆくことになります。

是非、『土岐源氏の里』が出来上がる、その日を首を長くして御待ち下さい。 


                                  美濃源氏フォーラム運営幹事 井澤 康樹


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