土岐氏調査・研究ノート

C 土岐氏史跡探訪  「 伊予國安芸國巡り 」  井澤康樹
                                       美濃源氏フォーラム運営幹事 井澤 康樹
  全国の土岐姓分布の中でも、
伊予國つまり現在の愛媛県は
最多の部類に入ります。
もちろん四国という地形から言ってみてもその他、
高知県・香川県・徳島県にも
たくさんの方々がおみえになるのですが。
土岐氏が美濃からどの様にして
四国に土着したのであろうか。
今までの因果関係としては、
承暦三年國房の阿波流罪、
また國房の土佐守・伊予守とか、
光定・頼清・満貞・直氏等の伊予守が考えられます。
その他、讃岐には明智光秀の子孫が根付いた
伝説もあります。
その一人として、高知には桔梗紋 坂本龍馬は江州坂本の土岐一族とし言わしめてもいます。
このような地域を少しでも理解するために、見出しの土岐氏探訪ツアーが催されました。
予め、橋本大二郎高知県知事へ問い合わせをしました。
「龍馬の祖先が土岐一族(それも光秀系)と言われておりますが、
貴県立坂本龍馬記念館にて現在の研究についてご教授願いたく候」と、由に館長自らご案内を賜りました。
丁度訪問日の二日前に特別展が始まりましたが、坂本家の祖先がメインテーマであり、
館長のお話では企画の検討中に私どもの問い合わせがあったとの事、
巡り合せの不思議さに思わず 『オミチビキ』 と呟いていました。


 高知から上浮名郡美川村へバスで移動中に、
私の携帯が鳴りました。
「土居千枝です。
ヌエ伝説の朗読テープが間に合いましたが、
赤蔵ヶ池の周りでは雨がひどいので、
小学校の体育館で食事を取りながら聞いてください」
実は前年、国道から車で40分程山を登った
赤蔵ヶ池の下見に行き、できたらここで
源頼政伝説の語りを聞いてもらおうと思案しました。
それを、ふもとにある土居商店で
弁当をお願いしながらお話しした所、
地元でもイベントとして是非考えてみたいとの事でした。
何の連絡もしないまま、
いよいよ一年ぶりにツアーの二週間前となって
電話をしたところ、
あれから美川村商工会の活性化事業として演劇が検討されたが実現に至らなかったとの事で恐縮してみえました。
ところが、それからわずか二週間で朗読テープを東京の劇団に個人的に依頼され創ってしまわれたのです。
 二箟小学校では、500年前からお住まいの土岐さんが道路で傘をさして待っていてくださいました。
その体育館には、頼政のヌエ退治の場面が緞帳で掛けられていました。
美川村商工会婦人部のみなさん・四国の土岐さん・土居さん・小学校の先生・郷土史家の先生達と一緒に、
弁当を食べながらテープを聞きました。

たった二人の生徒も、折角の機会だからと授業を振り替えて参加です。
この上浮名郡一帯が中世土岐氏の所領地であり、
一日中降り続いた雨は、五世紀ぶりにの訪問に対する嬉し涙のようでした。 
この美川村から松山へ降りていく道中に
たくさんの土岐氏関連史跡が残っています。
光定開基の興源寺跡とその供養塔は蜜柑畑の片隅に、
又土岐神社は田圃の真ん中にポツンと立っており、
恐らく近所の方々も
どういう団体が何をみにきたものかと思われたでしょう。
 
夕暮れとなり徳川神社や徳川城は遠景で観るだけとなり、
機会があれば是非登ってみたい所であります。

道後温泉にて四国土岐会の集まりがあり、
又翌日の尾道では昼食時に中国土岐会の話がされ、
それぞれ今後の課題にどう取り組むべきか検討されました。
共に関心の高い方が参加されたのですが、
一番の言い出しっぺに誰がなられ、どのようにまとめていかれるか、大変楽しみです。
尾道では、浄土寺を観ました。尊氏が京から九州へ落ち、その後攻め上がり、
湊川の戦いで勝利し室町幕府の創立となるのですが、その攻め上がる途中で陣を敷いた所が浄土寺です。

その時詠んだ戦勝祈願の『法楽連歌』が残されており、その宝物は一度は観るべきです。
そして、その歌を詠んだ頼貞や尊氏が座った部屋に入ると、思わずタイムスリップして頼貞になった様な気分でした。

 土産を買えばりょこうをは終わりになるわけで、尾道で一軒お菓子屋さんが頼んであり、殆ど皆さん買われた後、
店主より「買い物が終わられた方は、こちらの資料をご覧ください」と言われ
テーブルに集まれば、そこには『土岐金山氏家系図』が出されていて、
「私も土岐氏です」と言われ、ツアーは全て終了しました。

 求めているから、向こうからも寄って来てくれるのかもしれません。
今更ながら、「気」と「念」の大切さを色々と実感させて頂くことができました。 
  結びに、お話をもう一つご披露申し上げます。
土屋統吾郎という映画監督がみえます。
瑞浪市の出身で、「スケバン刑事」等が著名なのですが、
その方から、ご自分の関係している劇団が
『ベニスの商人』の演劇を瑞浪周辺で開催したいとのことで、
協力を依頼されました。
丁度、その劇団の代表者も同席されており、
土屋監督との話が一区切りついた時に、
美濃源氏フォーラムの私の名刺を見ながら、
劇団代表者が質問されたのです。
 「井澤さん、最近四国の方へ行かれませんでしたか?」
 「行きましたよ?」
 「美川村へ行きませんでしたか?」
 「行きましたよ!」
 「テープで朗読を聞かれませんでしたか?」
 「聞きましたよ!!」
 「あのテープ、うち(劇団新芸術)で創ったんですよ!! !!」
思わず叫んだ声の大きさと、身体一面の鳥肌が、私のエネルギーかもしれません。


 


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