土岐氏調査・研究ノート

D 小菅村舩木集落について
2004年5月31日   
  源臣   

5月23日(日)山梨県の小菅村山沢地区の長老田中氏(舩木家出身)宅をRyuko、源秀、源臣の3名で訪問。
小菅村舩木集落についての話を聞く。
以下にその内容を源臣風にまとめる。 

小菅村に舩木一族がいつから住したかその年代は定かではない。
正中の変(1324年)以降、元弘の乱〜(1331年、楠木正成、笠置・赤坂城)、
湊川の戦(1336年)あたりの事であろうか。

千早城の砦(出城)に舟木砦があったという。
この舟木砦を守った武将が誰かは判らぬが小菅舩木の祖であろう人物と思われる。

南朝方についた土岐舟木の一党は、敗戦の色濃い戦場から楠木の子を連れて忽然と姿を消したそうだ。
時は足利の世、光明天皇(北朝)をたて、後醍醐帝は吉野に退く。

足利軍に敗れた南朝方の土岐舩木の一党は、何処をどう巡り塩山まで来たかは判らぬが、
塩山から青梅街道(当時は富士街道か下野・上野に通じた道)を通り途中より南へ下るか、
あるいは東へ直進して大菩薩峠を超え小菅村(山梨県北都留郡)へ入るかのいずれかであったろう。

山奥とはいえ尊氏のお膝元下野の地に近く、出所・経歴をひた隠しに隠し、息を潜めて暮らし始めたという。

何故この地を選んだかは長老の記憶にはないが、
小菅村北隣の丹波山村一ノ瀬地区には黒川金山があり、
朱の素になる硫化水銀(天然ものは辰砂)も採掘されたという。

長老の話しによると楠木氏は単なる地方豪族ではなく、
全国各地の金や朱の採掘権?(あるいはその技術か)を手にしていたようであり、
それがこの小菅村に落ちてきた理由とどの程度関係するか?興味のあるところである。

楠木正成と金山の関係を聞いたとき、満仲の多田の庄を思い浮かべた。
金や銅など鉱山資源を多産する地で、その蓄えた経済力と武力に物を言わせて満仲は、
中央権力と結びつき勢力を拡大していったのである。

正成が志半ばで倒れたのはそれから約400年後のことであるが、そんな連想を誘う長老の話しであった。

土岐舩木一族の末裔は、現在小菅村に50軒強、南隣の上野原の西原(サイハラ)に20〜30軒、
北隣の丹波山(タバヤマ)村に35軒ぐらい在住するという。
小菅の山沢地区は当時土岐舟木の本拠地であったようで、いまも住民すべてが舩木姓である。

西原の舩木は舟木孫二郎の系統と言い伝えられている。

山沢の舩木は舟木四郎左衛門の系で、丹波山の舩木は、光?の系と伝わるが、
四郎左衛門と光は「続群書類従」の舟木系図には見当たらない。

「尊卑文脈」には頼貞の四男、土岐頼衡は号舟木、土岐四郎、右衛門尉。
また舟木頼春の弟に土岐太郎四郎がいる。

さらに舟木三郎左衛門光經の弟の堀内次郎左衛門光重などがいる。
四郎左衛門はこの辺りの流れの何れか?今後に課題を残す。

系図や系譜等の古文書類は残っていないが、
山沢地区の阿弥陀堂には応永5年(1372年)の板碑が2枚、
また同地区の舩木四郎家には先祖伝来の茶臼が現存するという。
いずれの品も先祖の地(岐阜か河内か)から持ち運んだものと伝わっている。

家紋については、山沢地区の舩木家(田中長老のご実家)は丸に桔梗、
通りがかりに寄った小永田(コナガタ)地区にある墓地で見た10数軒の舩木家の墓石には、
どれも桔梗紋は使われていない。土岐舟木の先祖と同道したと伝わる楠木家の子孫は、
現在も丹波山村の一ノ瀬集落に姓を楠つまり楠木の木を取り、楠一字の姓で楠家として6軒程現存する。
  楠家

集落で一際立派な藁葺きの変わり屋根(写真)の楠家の老婦人に話しを聞いたが、
先祖は武田家の家臣だという。それ以前の先祖のことはお判りにならないようであった。  




<その他メモ>

・小菅村を開いた人物は藤原重清。(重清の漢字未確認)
・ここの小菅一族は藤原氏である。
・小菅は「板谷の小菅」といわれ、板谷とは十字路を言った。宿場であった。
・「板谷の小菅」は宗祇や壬生忠岑などの歌にある。
・祖祖父喜兵衛は東の喜兵衛か西の高右衛門かといわれるほど、
村では評判の優秀な人物であった。若き時、大志を抱いて京都へ国学の勉強に向かうが、
静岡(大井川か?)辺りで 賊に逢い身包みはがされて甲州の親戚を頼り、塩山経由で小菅村へ無念の帰還。
・熊野神社が小菅村の小永田と橋立の2箇所にある。
・小菅村には昔(時代は不明)長い石垣が築かれていた。今は無い。
 


舩木集落に残る板碑

 山梨県北都留郡小菅村の山沢地区の阿弥陀堂に2枚の板碑が祀られています。
舩木一族の先祖が、この地に来る以前に住んだ土地(岐阜か河内か)から持ち込まれたもの
と伝えられてきた板碑です。応永5年(1372年)3月1日の日付が刻まれています。
 岐阜県瑞穂市十七条城近くの寺にも1300年代の石碑(板碑でしょうか)があるそうですが、
なにかの手がかりにならないでしょうか。比べて見たいものです。(源臣)

阿弥陀堂     板碑
  板碑についての情報がありましたら、

  美濃源氏フォーラム事務局までお寄せください。

  


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