土岐氏調査・研究ノート

O 土岐氏の文化について A 連歌と土岐氏
土岐氏は守護として在京することが多く、
室町時代二百年以上にわたり京の文化を美濃へ持ち込んでいます。

鎌倉末期、初代頼貞や二代頼遠は勅撰和歌集に載るほど和歌の名手でしたし、
合戦に際し戦勝祈願の「法楽連歌」を奉納しています。

特に、三代頼康は三国守護として、また幕府の侍所所司として五職三管領の要職でありましたので、
僧侶や公家との交際の中から一流の文化人となったようです。

特に美濃での連歌の初見は揖斐の小島で、選者二条良基の『菟玖波集』の中に、
後光巌天皇の行幸の折美濃国をしまといふ所行宮にて連歌し侍りし≠ニ出てきます。

近年、揖斐川町瑞巌寺では岐阜県の連歌誕生地として「小島頓宮法楽連歌会」を甦らせました。
  
<沙石集(弘安6年・1283)に載った桜堂薬師連歌>
  桜に結びつけられていた下の句より、
  鎌田二郎左衛門義行が詠んだ上の句 

  吹き結(すさ)ぶ風にみだるる糸桜

  とき(解き・土岐)にきたれどむすびめもなし 

 ―勅撰和歌集における土岐氏の歌―

<土岐頼貞の歌>
  『玉葉和歌集』
暁の別れのきはにしられけりまたと思はぬ人のけしきは (巻第十 恋歌二)

  『風雅和歌集』
哀れとて我が寝覚めよとふ人もがな思ふこころを言うも盡さむ (巻第十七 雑歌下)

  『新千載和歌集』
    題志らず
もるとせしおくての稲葉刈果てて聞かぬも寂し小男鹿の聲 (巻第五 秋歌下)
止まらぬ月日ばかりに任せ来て只とにかくに世を渡るか哉 (巻第十八 雑歌下)

  『新拾遺和歌集』
水鳥の賀茂の神山さえくれてまつの青葉も雪降りにけり (巻第六 冬歌)
    題志らず
雁なきて朝風寒し故里に我が思ふいもやころもうつらむ (巻第九 羇旅歌)

  『新後拾遺和歌集』
峯に立つ雲も別れて吉野川あらしにまさる花のしらなみ (巻第七 雑春歌)
雲もなほ志たに立ちける棧の遥に高き木曾のやまみち (巻第九 羇旅歌)
住み侘びぬわが身伴なへ秋の月いづくの方の野山なりとも (巻第十七 雑歌下)


<土岐頼遠の和歌>
  『新千載和歌集』
たれに猶しのぶ山の郭公こころのおくの事かたるらむ (巻第十六 雑歌上)

  『新拾遺和歌集』
    題志らず
敷妙の床のうらわの海士小舟うきね定めぬ月や見るらむ (巻第十八 雑歌上)

  『新後拾遺和歌集』
     題志らず
忘れては見し夜の影ぞ忍ばるる憂き習はしの有明の月 (巻第十四 恋歌四)


<土岐頼仲の和歌>
  『新後拾遺和歌集』
栞せで入りしに道のかひありて人もとひこぬ山の奥かな (巻第十九 雑歌中)


<土岐頼康の和歌>
  『新千載和歌集』
    題志らず
思出て更にぞ迷ふ垂乳根の有る世に越えしさやの中山 (巻第八 羇旅歌)
面影はかはらぬ中の有明に今はた何かつれなかるらむ (巻第十五 恋歌五)

  『新拾遺和歌集』
    入道二品親王覚の家の五十首の歌に
見るままに思ひも晴るる月影や心を照らすかがみなるらむ (巻第五 秋歌下)



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