土岐氏調査・研究ノート
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美濃源氏フォーラム講師
山口 純男氏 解説
土岐氏は、美濃の國守護家として武芸に優れた人物が多く見られるが、
和歌、連歌、漢詩、猿楽及び絵画等の文化・文芸にも伝統的に深い嗜みがもたれてきた。
特に絵画の面では、土岐頼忠、土岐頼芸、土岐富景、土岐洞文及び土岐頼高等が挙げられるが
いづれも武人画家として評価され、共通の「鷹の図」を残している。
これらを総称して「土岐の鷹」と呼んでいるが、「桔梗」と共に土岐氏の代名詞とさえなっている。
「頼忠」は、美濃の國五代守護であり、雅号を「衲正」と称した。
「頼芸」は、同11代守護、「富景」及び「洞文」については、土岐氏系図上確認できないが、
「富景」の作品に「美濃守富景」の款記もあり、また、時代的にも「頼芸」と同一人物とする説が有力である。
なお、「富景」と「洞文」も同一人物とする説があるが明らかではない。
「頼高」は、「本朝画史」によれば美濃の國守護の裔であるとしていることから
「頼芸」の子「頼次」の次男で徳川尾張家に仕えた「頼高」と思われる。
現在、確認されている「土岐の鷹」は、先ず「頼忠」の「蒼鷹の図」(岐阜県池田町禅蔵寺所蔵―写真1)があるが、
「衲正筆」という文字が光によって浮かび上がる隠し落款が大変珍しい。
次に、「富景」筆の「鷹の図」(東京国立博物館蔵―写真2)
及び「白鷹図」の二点、趣の異なる構図であるが、前述のとおり「頼芸」作と見たい。
四点目に「頼高」筆「鷹の図」(岐阜市崇福寺蔵―写真3)があるが、前三作とは全く画風を異にしている。
鷹の表情が穏やかに書かれているが、時代背景からであろうか。
さらに「頼芸」作として東京品川の春雨寺、岐阜県山県市の南泉寺に其々「鷹の図」が確認されている。
この他、伝 頼芸作として伝承されているものに瑞浪市の開元院所蔵の「鷹の図」(写真4)、
千葉県夷隅町郷土博物館所蔵の「鷹の図」(写真5)がある。
また、夷隅町の行元寺には、杉戸に描かれた「老梅と鷹図」(写真6)が伝わっているが、
作者は「土井利勝」のお抱え絵師「五楽院等隋」であり、
土岐頼芸の寄寓していたこの地にて鷹の図を描いたのも「土岐の鷹」を意識したものと推測される。
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